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ティラノサウルスによろしく

『舞妓はレディ』

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『舞妓はレディ』

けっこうまえに、観てきましたよ




先週の日曜日、レイトショーで観てきましたので、少し書きます。

・解説

「Shall we ダンス?」「それでもボクはやってない」の周防正行監督が、京都を舞台に舞妓になるために頑張る少女の成長物語を、数々のオリジナルソングが彩るミュージカル仕立てで描いたオリジナル作品。舞妓がひとりしかいなくなってしまった京都の小さな花街・下八軒の老舗お茶屋・万寿楽(ばんすらく)に、どうしても舞妓になりたいという少女・春子が現れる。最初は断られた春子だが、そこに居合わせた語学学者の「センセ」こと京野が、鹿児島弁と津軽弁の混ざった春子に興味を示し、彼女が万寿楽にいられるよう取り計らう。かくして万寿楽の仕込み(見習い)になった春子だったが、花街の厳しいしきたりや稽古、慣れない言葉づかいに悪戦苦闘。そしてある日、突然声が出なくなってしまい……。(映画.com)

解説の通り監督・脚本は周防正行。

なんでも20年くらいあたためて来た企画だとか。

もう、予告編の映像と、周防監督の文字を見れば、ああ~絶対フツーに面白いヤツじゃーんってなるわけですよ。『Shall We ダンス?』撮ってる人がミュージカル撮るってんですよ、つまらなくなりようがないじゃーんって。

だから、それなりの期待を胸に、多少ハードルが上がっている状態で観に行ったんですが、まあ予想通り面白かったです。

ストーリーの構造としては平々凡々、解説にもある通り、訛りのキッツイ女の子が、舞妓という、ある種閉じられた芸道という世界に飛び込み、叱られたり褒められたり努力したり挫折しそうになったり、等々ありながら成長し、舞妓になるって話。

あ、なります。舞妓になります最終的に。

もうこれ、ネタバレでもなんでも無いでしょう。

結局舞妓にはなれず泣きながら田舎に帰るなんてエンディングにはなりようがない空気あるじゃないですか、予告編でも。

私としても最後は舞妓になるということは、もうほとんど決定事項として、暗黙の了解の上鑑賞していましたから。

もちろん、端々にユーモアはありますよ。

大体、鹿児島弁と津軽弁が混交した方言を話す女の子が単身上京して来て舞妓を目指すって前提自体、可笑しいしね。

ただ、ストーリーの枠組みとしては、目を見張るような斬新さはないですよってことです。

じゃあこの映画、なにがいいのかって話になるんですが、まず絶対にこれ抜きには語れないでしょって部分として、配役の妙。これは外せない。

特に、主人公の春子を演じた上白石萌音。



もうね、この映画、この子を主演に抜擢したってだけで8割成功しちゃっている。
ここ最近、日本映画界に数年に一度くらい現れる奇跡女優枠の人ですよ、彼女。

たとえば、『ユリイカ』の宮﨑あおい、『リリイ・シュシュ』の蒼井優、『愛のむきだし』の満島ひかりとか、それくらいのレベルでパンチあります。

ものすごい美少女ってタイプでもないんだよね、でも魅力的っていう。
そしてまあこの映画、ミュージカルですから、歌唱力というか、歌を発したときのインパクトというか、そういった部分も求められてくるわけですが、いやよかったね、すごく。

あとは春子の方言を矯正するため立ち上がる、語学学者の京野を演じる長谷川博己。



もともと文学座出身の舞台役者であり、映画進出したのは2011年の『セカンドバージン』、その後、『鈴木先生』の映画版と、テレビドラマで主演を務めていた作品の劇場版に、そのままの流れで出演していたのであるが、ドラマを観ていない私は当然その劇場版も観ているはずがなく、彼のことを認知したのは、映画出演第三作目にあたる、『地獄でなぜ悪い』であった。
その作品の中で彼は、いい映画をつくるためなら死んでも構わないという映画狂を演じていたのだけど、所謂舞台俳優特有の大仰な芝居、芝居がかった芝居をさらに誇張させたような芝居を披露しており、それが非常にハマっていて、すっかり好きになってしまった。
で、彼の映画出演四本目に当たるのが今作、日本中の方言を研究しており、本来自分が京都の人間ではないにも関わらず、京ことばでものを話すという役どころ。
これ、ハマらないワケがないじゃないですか。
『地獄〜』の中で、極端にデフォルメされた芝居を見せていた彼ですよ、そんな彼が、京都人でないのに京都弁を話すという、ある種嘘っぱち感が漂う人間を演じているんですから。
そして、『地獄〜』にせよ、今作にせよ、彼の芝居はかなり作品のテーマと密接に繋がっているように思える。
もうちょと順序立てて書ければよかったのだけど、「言葉」というワードがすでに出てきちゃったので一気に行きますが、この映画、「田舎娘のサクセスストーリー」的見地から言えば、先にも書きました通り、よくあるプロットとの作品ですよ。ただ、今作のメインテーマは、個人的には「言葉」、或は「言葉を発するということ」にあるんじゃないかと思うのです。
そういう見方をすると、途端に難解になるというか、深淵な作品に見えてくる。
実際、考えがまとまっていないんですよ、私としても。

あー。つーか、あれです、この記事書き始めてから、実はもう三、四日経ってんですね。
確か日曜だったかに半分ほど書いて、その後ずっと放置しちゃってるんで、もうそろそろ終わりにしたい感がすごいんですよ。

結局配役について(しかも岸部一徳や濱田岳、彦摩呂などに関しては一言も触れず)しか書いていないですが、正直もうこれ以上書く気が起こらないんでやめますアディオス!

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