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ティラノサウルスによろしく

『イン・ザ・ヒーロー』

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『イン・ザ・ヒーロー』

書いておきます



結局『イン・ザ・ヒーロー』を観ました。
監督は武正晴。知らない。
主演を務めるのは唐沢寿明。
他、福士蒼汰、寺島進、黒谷友香などが脇を固める。

結論から言うと、「すげーダメダメで、鼻持ちならない奴なんだけど、なんか嫌いになれない友達」みたいな映画でした。友達です。そういう距離感の映画。
だから、たぶんこれからこの映画について扱き下ろすことになると思うのですが、仲のいい友人に悪態をつく程度のものとして捉えてもらえると有り難いです。

先ず最初にこの映画がどういう映画かと言うと、『タイバニ』的なバディーものをベースに、トリュフォーの『アメリカの夜』的メタ要素をぶち込み、『蒲田行進曲』までフォローした結果、なんだかとっ散らかっちゃいました、といった感じ。
まあ、あらすじから順繰り行きます。
あらすじ、と言ってもかなり突っ込んだ部分まで書くことになると思うので、ネタバレがイヤなら見ない方が。
っても、ネタバレもクソもない映画なので、正直そんなに気にすることはないかと。


唐沢寿明演じる本城渉という男は、長年スーツアクターとして活躍しており、今や業界内ではトップクラスの人間。
ただし、あまりにも映画や、アクションに対する情熱が強すぎて、嫁さんには愛想を尽かされて別居中。
嫁さんのもとにいる娘とは上手くいっているようだが、彼女からは「俳優ではない」と思われていたり。
また、度重なる危険なスタントの所為か、慢性的に首を痛めている。
そんな彼のもとに、久々に顔出しでの映画出演の話が舞い込むところから物語がスタート。
ちなみに映画とは戦隊モノの劇場版で、与えられた役は敵役として登場するブラック。
ところが事務所の強烈なプッシュの所為か、実際に役に落ち着いたのは、アイドル的人気を誇る、福士蒼汰演じる一ノ瀬リョウ。



まあこのイケメンっぷりじゃ事務所もプッシュしますわ。
で、この一ノ瀬という男、ものすごーく感じ悪いわけです。
戦隊モノの映画なんて出ても仕様がねえだろ、と小馬鹿にしている。
尤もそのふざけた姿勢にも理由があって、彼は日本での撮影が決まっているハリウッド映画のオーディションの真っ最中。
ただ、役をとられた形になっている本城は、彼の演技に対する姿勢が許せないわけです。
また、一ノ瀬のマネージャーから、「彼にアクションを勉強させてやってください」と頼まれていることもあり、熱心に一ノ瀬に対し、アクションについて、延いては映画とはなにかということまでを教え込もうとする。
熱い性格の本城に、始めのうちはスーツアクターの分際で、と小馬鹿にしていた一ノ瀬も、徐々に絆されて行くが、まだ壁を作っている様子。
そして映画の撮影中、調子こいた一ノ瀬が、監督にスーツアクターではなく自分にアクションシーンやらせて下さいと申し出て、実際にやってみるんだけど、やっぱりそこは素人で、上手く連携が取れずにブルーのスーツアクターである黒谷友香に怪我を負わせてしまうという事件をキッカケに、彼の方から本城に、アクションを教えて下さいと申し出る。
なにせ怪我をさせてしまった現場に、例のハリウッド映画のプロデューサーが視察に来ており、このままだと選考落ちちゃうって焦りもある。
どうやらオーディションには、アクションによる選考も組み込まれているらしいので。
とにかく、ここで完全に認めるわけです。本城という男を。スーツアクターの凄さを。
怪我をさせてしまった現場に、例のハリウッド映画のプロデューサーが視察に来ており、このままだと選考落ちちゃうって焦りもある。
本城は、自分の所属事務所の連中と一緒に、生半可な気持ちを捨てて練習をするという条件の下、それを承諾する。
というのも、曰く「アクション舐めんなよ、受けだけで三年掛かるって言われて」おり、さらに「アクションっていうのはリアクションがあって初めて成立する」からであると。
練習に励む一ノ瀬。スーツアクターの連中とも完全に打ち解けて行く。
で、オーディションにも合格、見事役を得ることになる。
ここで、なぜ一ノ瀬がここまでハリウッドに拘るのかを。
彼は、弟と妹との三人暮らしであり、どうやら母親は子どもたちを捨ててアメリカに駆け落ちしてしまったらしい。
弟、妹を演じている子役も、完全にハーフ面、つーか日本語を喋る外国人であることから、おそらく子どもをつくったものの、アメリカで夫と生活しているんじゃないかと思われる。
そのため一ノ瀬は、ハリウッド映画に出て、アカデミー賞を取り、そのスピーチで母親に対し、「誰もあんたを恨んでいない」ということが言いたいんだと。

まだツッコミはなしね。

話を戻して、一ノ瀬が役を獲得したハリウッド映画の方に少し問題が。
このハリウッド監督は、映画の中で本能寺の変(的なもの)を描きたいらしく、一人の白装束忍者が、本能寺の三階くらいから飛び降り、敵をバッサバッサと百人切り、最終的に城の火が燃え移り、火達磨になって戦うというシーンを、ノンCG、ノンワイヤー、さらにワンショットでカメラに収めたいという無理を言い出す。
で、この暴れん坊な提案に恐れを抱いた香港スターが、寿司だけ食って国に帰っちまったと。
プロデューサーサイドからは、CG・ワイヤーで妥協してくれとの要請が入るが、オレの映画なんだからと折れない監督。
そこで白羽の矢が立ったのが本城。
彼にしてみたら棚から牡丹餅もいいところで、喜び浮かれ、ギクシャクしていた嫁さんのところに駆けつけ、報告するわけです。
ハリウッド出演が決まったことに最初は共に喜ぶ嫁さんだったが、その企画内容を聞いて眉をひそめる。
あなたの、仕事に対して馬鹿みたいに熱いところが、無鉄砲なところが、自分を家族を顧みないところが嫌いなのよと喧嘩別れ。
思い悩む本城。
しかし、顔を出すことの出来ないスーツアクターが、本当にそのままでキャリアを終えてしまっては、ブルースリーに憧れてこの道に入ったオレも、そして同じようにアクションスターに憧れてこの道に入って来た人間が浮かばれないだろうということで、結局は役を受けることにする。
この時の台詞があれです、予告編で散々聞かされた、
「俺がやらなきゃよ、誰も信じられなくなるぜ、アクションには夢があるってことをよ」ってやつです。
そして、例の本能寺の変忍者verの撮影に。
切られ役として、スーツアクター仲間がいたり、映画序盤で、スーツアクター界の重鎮的ポジションでカメオ出演していた、松方弘樹なんかも参加している。
「最近は切る役ばかりで、久々に切られたくなってなあ」とか、妙にカッコイイ台詞。
そして同時進行で、嫁さんのドラマパート。
彼女、言い寄られていた男がいたらしく、その男と高級料理店みてえなところで食事してる。
ちなみに男は及川光博。いい感じに胡散臭さが出てます。
この男は、本城とは真逆に位置するような男で、金さえ得られればなんでもいいというスタンス。
嫁さんは小さな薬局を営んでいるのだけど、男はそれじゃ儲からないから今の場所にオフィスビルでも建ててその大家をやった方がいいと進言する。
立地も良いんだから働かなくても儲けられますよと。
そんな話を延々聞かされた嫁さんは、あなたは仕事に命を賭けられますか、と捨て台詞を残し、夫の撮影場に急ぐ。
嫁さんと娘が現場に到着。とほぼ同時に、撮影スタート。
アクション。殺陣。
最後は火達磨になりながらしばらく戦い、すべての敵を倒して、炎で破けた白仮面から覗く本城の顔面。
そして、セットの池にダイブ。
撮影は成功。
カットと共に駆け寄る嫁さん。そして娘。
その後、スタッフもぞろぞろ集まる。
暗転。
最後はボロボロになって入院している本城。
それを見守る娘、そしてこれからは夫を支えると決め、帰って来た嫁さん。
終幕。ハッピーエンド。
エンドロールの途中で、ハリウッドで成功したらしい一ノ瀬が出て来る。
んで、サインを求める群衆の中に、母親らしい人物が。
涙をこらえる彼のアップ。
イエーイ、ハッピー。みんなハッピー。



いやー、長い。申しわけない。

さても、この映画がどういう触れ込みで封切られたかってことなんですが、
「映画を愛するすべての人に贈る奇跡の物語」
っちゅうことです。これは、ハードル上げて来たなーって。
「映画」というものを描いた映画だと、古くは先に上げたトリュフォー監督『アメリカの夜』や、さらに有名どころだと『ニューシネマパラダイス』なんかがモロでしょうか。
また、映画監督の苦悩を描いたフェリーニの『8 1/2』、サイレントからトーキーへと映画の主流が変わり、サイレント時代に売れっ子だった俳優の悲劇を描いたワイルダーの『サンセット大通り』なんかも、メタ要素を含んだ映画としては有名かと。
その他、映画とは少し外れるけれど、広くショービジネスの頂点に立つ男の煩悶をミュージカルに乗せたボブ・フォッシーの『オールザットジャズ』なんかも、同じ系譜として扱っても問題ないだろうし、つい最近だと、園子温監督が『地獄でなぜ悪い』で、映画という表現の脱構築を行ったばかり。
そしていずれも、個人的には大好きな映画なのです。
それじゃあ『イン・ザ・ヒーロー』はどうか。
華やかなイメージのある俳優業の裏で活躍する、普段日の目を浴びることの無いスーツアクターが、最終的に表舞台で活躍するという物語を主軸に、映画というものがいかに多くの人によって支えられ、作られているかを描き出しており、それがこの映画のキャッチコピーの「映画を愛するすべての人に贈る〜」というメッセージに繋がるわけです。あんたらが見ている華やかな世界の裏側には、こんなに熱い人間がいるんだぞと。
確かにこれが成功していれば、間違いなく傑作になったはずなのだが、勿体ない、要所要所駄目な箇所ばかりに目がいってしまう。

先ず何が駄目って「顔を出し、表舞台に立つことが、スーツアクターの目標然として描かれてしまっている」という点。
これは結構致命的です。
もちろん、物語上仕方の無いことであるのは理解できる。
物語的カタルシスを生む装置として最後の殺陣があるわけなので、最低限唐沢寿明演じる本城は、ブルースリーに憧れてこの業界に入ったという設定からも、顔を出して一級のアクションを披露したいということが目標になってしまうことは致し方ない。
かくいう僕も、最後の殺陣を終え、焼け焦げ破れた白仮面から本城の顔が覗くところは、落涙こそしなかったものの、目頭が熱くなるシーンではあったわけです。
しかしね、裏方にスポットを当てようという今作のテーマとは、どうしても相反してしまう。
この描き方じゃ、結局は華やかに顔を出して活躍している俳優の方が偉い的な作り手側の悪意を感じてしまう。
実際に、あまりに危険なスタントだと本城の映画出演に乗り気でないスーツアクター仲間の会話シーンがあるのですが、その中で寺島進がこんなこと言ってますよ。
「オレ、本城の気持ち何となく解るよ、この業界に入ったらさ、一度はスクリーンいっぱいに自分の顔が映し出されるところ見てえもんな」と。
一語一句同じではないですが、だいたいこんなようなこと、言ってますよ。
それを言わせちゃ駄目なんだよ。
それに皆そろって妙に納得してやがる。
この映画が「信じれば夢は叶う」的なテーマで撮られているならいいよ、それなら筋が通る。
少なくとも本城の夢は(夢の一部は)、信じ続けることによって叶っているわけだしね。
でも違うじゃない。これまでだって、曲がりなりにも「陰ながら作品を支える人々」にスポットを当てて来てたじゃない。
つまり何が言いたいのかというと、そもそも映画のクライマックスに、「顔出しの映画出演」を持って来るという脚本に問題があるということ。
例えばね、あくまでも顔は出さないと言う条件でオファーを承け、それを承諾する。
当然皆反対する。顔出しでも反対していた嫁さんは勿論、事務所の仲間も皆反対だろう。
寺島進が「一度はスクリーンいっぱいに自分の顔が映し出されるところ見てえ」とか言う必要もなくなる。
そんなこんなで、無理を承知で撮影に臨む本城、クライマックスでは図らずも白仮面が燃え、破けてしまい顔が露になってしまう。
しかし、アクションの出来に興奮した監督はそのままゴーサインを出して、棚ぼた的展開で顔出し出演を果たしてしまう、とかならまだよかった。
本城が周囲の反対を押して映画に出演する動機も、「日本にもアクションできる人間がいるってことを世界に知らしめる」という意味では、そこまでいじる必要も無い上、何よりこの映画が抱えてしまっている根本的な矛盾を最小限に食い止めることが出来る。さらにカタルシスも殺さずに済む。
ちょっと、美談に仕上げようとしすぎたのか、がっかりする描き方でした。

もう一点、これは先の問題にも通じるのですが、「ハリウッド映画はすごい、ハリウッド映画は偉い」的態度があまりにも酷い。
いやね、わかるよ。
実際にハリウッド映画の方が予算とかも凄いし、環境だって整ってるよ。
でも、やっぱり日本人の映画ファンとしては、せめて日本映画だって捨てたもんじゃないと、言ってもらいたいわけよ。
実際、本城が申し訳程度にそんなようなことを言うんだけど、本当、それだけだからなあ。
最後の殺陣シーンって「日本映画界にも、スーツアクターという普段は裏方だけど、すごいアクションをできる人がいるんだぞ」っていう意味合いも含まれていたはずでしょう。
そういう映画を作っている人がさ、あまりにもハリウッド至上主義的な態度を映画の中で取らせ続けるってのは、やっぱり気持ちよくない。
だから、カメオ出演しているベテランアクターの松方弘樹が、「久々に切られたくなってなあ」とあそこに立っているシーンも、いやアンタ、ハリウッド映画にちょこっとでも出たいからって理由じゃねえの? とさえ思えて来てしまう。
もちろん、そういう意図で彼が立っているわけじゃないことくらいわかるよ、わかるけど、そう思わせてしまう可能性がある作りになっていること自体が問題なのです。
尤も、最終的にそのハリウッドで権威のある監督やスタッフが、本城のアクションに大興奮するというシーンはあるのだけど、そのシーンでは先の顔出し問題がノイズになってしまっているから勿体ない。

この二点は、特に問題です。
スーツアクターが顔出しの出演に憧れ、日本ではちやほやされているアイドル俳優がハリウッド映画に憧れているというピラミッドに、作り手の、ある種の諦念すら感じられてしまう。

他にもいろいろありますよ。

例えば、今回は映画づくりの裏の部分にスポットを当てているものの、それがあまりにもあっけなさ過ぎ。大道具がいて、照明がいて、撮影がいて、ってのをただ説明するだけ。
多少なりそこにスポットを当てるのなら、裏方で働く人間が、自分の仕事に対してどれほどの情熱を持って取り組んでいるのかを、もっと出して行かないと駄目でしょ。

他には、殺陣シーンの最後、火達磨になって池に飛び込み、カットがかかった後。
美談にしたいのはわかるけど、いの一番に駆けつけるのは救護スタッフでしょう。
仮にもハリウッド映画の撮影なんですよ。
あんな危険なアクション撮っておいて、そんな杜撰なわけがないでしょう。

それから一ノ瀬がアクション飲み込むの早すぎ問題。
受けだけで三年掛かるんじゃないんですか。
尺の関係上やむを得ないとは言え、もうちょっと見せ方あったんじゃないですか。

一ノ瀬関係だとまだあって、せっかくハリウッド映画抜擢が決まった彼が、その後ほとんどケツカッチン状態になってしまうのは如何なものか。
せめて彼の本番アクションシーンも入れてあげましょうよ。
本編で最後に活躍するの、本城の嫁さんをバイクで撮影現場まで送るくらいってどうよ。

あとは、一ノ瀬の妹と弟を、あそこまでコテコテの西洋面にする必要はあったか?
正直スゲー違和感だぞあれ。
杏奈なんて可愛いもんだよ。



マーニーは祖母に当たるから親よりは遠いし、マーニーの娘はアジア面に寄せてたし、あの程度ならノイズにはならんよ。
福士蒼汰クンは確かにイケメンだけど、滅茶苦茶アジア面だろ。

何を細かいことを、と言うかもしれないけどね、映画というものを真摯に捉えた映画を作るのなら、そういう細かいところをクリアして行かなきゃ駄目なんだって。
あなたたちが言う「映画を愛する人」って、あなたたちが思っている以上に細かいところ見てますよ。

他、伏線の張り方、回収の仕方が下手であったり、演出にスローモーション多用し過ぎなど、ここら辺はまあこの映画に限ったことじゃないですけど、やっぱり鼻につきます。


と、まあここまで散々こき下ろして来たわけですが、最初に書いたように、この映画、友達ですから。
憎めないんですよ。ここまで駄目な映画なのに、何故か憎めない。
理由の一つ、そしてかなり大きいのが、唐沢寿明。
スーツアクター上がりの俳優というのは有名で、この起用にもちゃんと意味があるのだけど、正直、唐沢寿明の演技が特別良かったというわけではない。
最後のアクションは格好良かったけど、熱血漢という役柄、大袈裟な演技になりすぎてしまっていた感もあるし、演出の所為もあって、ちょっと絵が安くなってしまう印象も受けた。
でも、そういうの込みで、なんかいいなと。
唐沢さん、あんたよかったよ。
痛めている首にサロンパス張るシーンは、笑いをこらえるのに必死だったよ。

それから福士蒼汰。
彼はまさにライダーで変身する側の俳優、らしいですね。観てないんで解らないんですが。
そういうのは置いておいて、序盤のクソ生意気でスカした新人芝居は見事でした。
もう、最高にイヤな奴でしたよ、一ノ瀬。

あとは吉川晃司の主題歌。
良い曲だよ。良い声だし。

ちゅうわけで、ダメダメだけど憎めない映画、というのが今のところの評価です。

しかしですね、この記事、あらすじを書き終えたところ位で一旦中断してまして、というのもですね、行って来たんですよ、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』に。
で、そっちの衝撃が強すぎちゃって、ほら何せ初めてのIMAX3D体験ですから。
とりあえず、ですよ。もしも『イン・ザ・ヒーロー』と『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のどちらを観に行こうか迷っているという人がいたらですね、全力で『ガーディアンズ〜』を観に行くことをオススメしておきます。

もう眠くって仕方ないんで、推敲せずにあげちゃいます。
誤字脱字用法違いあったら失礼。

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