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ティラノサウルスによろしく

観たら書き、読んだら書く

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観たら書き、読んだら書く

書かねば。


たとえばアニメや映画に関して、ぼくは積極的にネット上にあがっている考察などを読むことは少ないのだけど、ときどき、あまりにも自らの手に余る作品に出会ってしまったりすると、そのような他人の言葉に頼ると言うことはある。検索エンジンにアニメのタイトル、もしくは映画のタイトルを入力し、スペースキーを押して考察と続けて入力すると、ソッコーで情報を提供してくれる。評価サイトが出て来たり、まとめwikiが出て来たり。それから、個人のブログが出て来たりもする。良くも悪くも適当でざっくりとした考察を書いているブログもあれば、一話ごとに感想をしっかりと書き、全話観終えた上での総括まで上げているような、びっくりするくらい丁寧なブログもある。感心してしまう。
昔観たアニメも、昔観た映画も、昔読んだ漫画も小説も、ほとんど忘れてしまっている。それも質が悪いことに、その作品を観た・読んだという記憶だけ残して、その内容は空っぽであるという状態が多い。
レンタルビデオ店に映画を借りに行く。棚に並んでいる映画の大半は観たことの無い映画であるが、もちろん観たことのある映画だって多くある。しかし、その内容がちっとも思い出せないのだ。良かったか悪かったかまでは覚えていることが多いのだが、何が良かったのか、何が悪かったのかまでは思い出せない。最低限、印象的なシーンだけは覚えている映画もあるが、本当に何も思い出すことが出来ない映画も少なくない。果たしてこのような状態で、その映画を観たことがあると言えるのか。
アニメにせよ映画にせよ、小説にせよ漫画にせよ、これまでの人生でそれらに随分時間を費やして来たように思う。忘れてしまった作品に関わっていた時間がすべて無駄だったということはないが、やはり哀しい気持ちはある。
書き留めることは重要らしい。記録として残すと言うことは、記憶に残すということにも繋がるだろう。アニメ一話ごとに感想を述べるびっくりするくらい丁寧なブログとまでは言わないまでも、やはりアニメだったら全話観終えたら感想を書くくらいのことはしたほうがいいかもしれない。いや書こう。書くべきだ。
などと宣言しておきながら、今日観終えたアニメ「東のエデン」の感想も、映画「水の中の八月」の感想も書く気が起きないのだからどうしようもない。いや、書く気が起きないのではなく、書けないだけなのだろう。感想って、難しいよ、想像以上に。
まず、誰かに見せようと言う気は捨てたほうがいい。そんなことを考えていては、上手くまとめようとしてしまう。しかし上手くまとまった感想や考察は、相応の知識と慣れが必要になってくるはずなので、この時点でぼくには無理なのだ。では、徹底的に自己完結、誰にも見せること無くコツコツ書いて行った方がいいのかと言うと然にあらず、今度はモチベーションが保てなくなる。結果的に誰も見ることが無くても、ある程度人目につくところに感想・考察をアップすることによってモチベーションが保たれるというケースは多くある。たとえばこのブログがまさにそうで、誰に見られたいわけでもないけど、誰かに見てもらいたいことを吐露するには打ってつけの場所なのだ。それじゃあこのブログにアニメなり映画なりの感想を、もっと積極的に書きゃーいいんじゃねえのってことになるが、このブログをそういったことをメインにしたくはない。まったく、大変な我侭である。

とは言え、このままだと本当に何も書かずに終わってしまいそうなので、今日見た映画「水の中の八月」についてちょこっとだけ書きます。
この映画、実は過去に一度観たことあって、それは高校三年のときでした。当時、この「水の中の八月」の監督である石井聰互の映画をよく観ていたのです。
石井聰互と言えば、おそらくタイトル名くらいは誰でも一度は目か或は耳にしたことがあると思われる「狂い咲きサンダーロード」が有名で、他、「爆裂都市」「逆噴射家族」「高校大パニック」「シャッフル」など、特に80年代から90年代にかけて、若者を中心に支持されていた監督、だったらしいです。もちろん今でもファンはいて、石井さん自身、現在は石井丘龍という名で活動を続けているみたいです。丘龍と名を改めたのは2010年のことらしく、ぼくが一番はまっていたのが高校のときですから、この改名は知りませんでした。2010年ったらしっかり大学生だからね。
ちなみにぼくは特に「逆噴射家族」「シャッフル」、そして「水の中の八月」が好きでした。
そして2014年のいま、なぜこのタイミングで「水の中の八月」か。
レンタルビデオ店内をふらふらしていたら、たまたま目に入ったんですね、この映画が。そしてぼくは「あ」と思い、「ああー」と息を漏らし、「ああー?」と首を捻り、「よし」と手に取りレジに向かったわけです。まあどういうことかと言いますと、例の「面白いという記憶だけは残っているのにも関わらず内容がさっぱり状態」だったということです。石井聰互監督の中でも好きな三本に入れている、にも関わらずですよ。駄目でしょ、内容がぼんやりしているのにその三本に入れてちゃ。
ただ、この映画はまだマシな部類で、印象的なシーン、印象的な台詞は強く残っていて、それから主演の女優が可愛く、ハマり役だったという記憶はあって。いや、印象的なシーンと言うより、作品自体の雰囲気がとてもよかったという記憶になるか。ストーリーラインの方は、すっぽり抜け落ちてしまっているんだけどね。
そして再鑑賞。
これは危険だな。ともすると「やっぱりよかった」で終わってしまう。でも、結局「やっぱりよかった」なんだよな。
強いて何か気の利いたことを言うのならば、まさにタイトル通り、水の中からずっと夏を覗いているような感覚になる映画です。そして、おそらく高校のときの僕も同じように感じていたような気がする。映画の内容を思い出すより先に、なぜか当時抱いた感想の方を思い出して行くのです。これは、先日「電脳コイル」を再鑑賞したときにも起こりました。不思議な感覚だね。物語がどう進んで行くのかは正確に思い出せなかったり、或はさっぱりわからなかったりするのに、抱いた感想の方だけがバックしてくる。その感想を足がかりにして先の展開が戻って来たりもする。どないなってんねん。
特別、泣かせにかかってくるような映画ではないのですが、観ているとなぜだか胸がつまる。映像と、音楽の所為でしょう。そしてそれらが作り上げる雰囲気。これは確実に今だからこそ抱けた感想なのだけど、イリヤを読んでいるときに感じた雰囲気に近いように思いました。内容は全然違うんですけど、どこか湿っていて、なんとなくブルーで、妙な閉塞感があって、でも透き通っていて、夕陽を反射させる湖の水面を目を細めて見続けているときに感じる虚しさと途方の無さをとりあえず青春と呼んでみて深くて蒼い水底に体育座りで踞っているような気怠さが。
そんな感じで「水の中の八月」、でした。
やっぱ、映画は映画館で観てぇなー。

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