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ティラノサウルスによろしく

叛逆の物語

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叛逆の物語

「劇場版魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」を観に行ったので、
その感想をネタバレを避けながら。




第一弾分の入場特典の方も早々に品切れになるほどの盛況を見せている劇場版まどマギ。
三連休の最後の月曜、レイトショー、この条件ならばそんなに混みはしないだろうと高を括っていたのであるが、思った以上にいる。さらに両サイドをカップルに挟まれるという最悪の状況での観賞を余儀なくされてしまい、いや、映画が始まってしまえばそんなものは関係ないのだと、ぺちゃくちゃと喋る両サイドに若干気をとられつつ、予告編を垂れ流しているスクリーンを見つめる。はあー、さすがにまどマギ、予告編もおしなべてアニメーション映画、タイバニ、攻殻、かぐや姫の物語。観賞に当たっての正しいマナーを勧告する映像も、西尾維新とコラボしたもので、へー、さすが、シャフト様のパイプ。

で、本編。
ネタバレはしませんので、ご安心を。
まず結論。よかった。ほんとうに、よかった。

劇場版はTV版のアフターストーリーであって、TV版の内容を把握していなければついていけないだろう。ただし、劇場版の方がテレビシリーズの内容に及ぼす影響というものは無く、それぞれ、TV版はTV版として完結しており、劇場版はTV版が築いた基盤の上で、劇場版として完結している。
しかし僕の場合、TV版の方の評価も変わった。僕はもともと、TV版にはどちらかと言えばしょっぱい評価をしていたのだけど、今回劇場版を観賞したことで、あたらしい視点を得ることができたからである。ああー、そういう見方もできたねーって。それは劇場版の物語がそうさせたのではない。もともとTV版を、今回僕が知った「あたらしい視点」で見ていた人もいただろう。ただ僕は、その視点にいまさら気付いた、気付かされた、という話である。

ネタバレを避けながら、というのはむつかしいな。思ったより書けないね。書ける気がしない。
ところで、僕は劇場版まどマギを、賛か否かで分けるならば、完全に賛側の人間だけれども、少々気にかかる部分もある。
まずこの映画、映画ではない。アニメである。
TVシリーズのまどマギが全十三話のアニメであるなら、劇場版まどマギは、二時間のアニメでしかない。
つまり何が言いたいのかというと、僕は劇場版まどマギを、アニメとしては絶賛できるけれど、映画としてはまったく評価できないということである。評価できない、すなわち酷評ということでもない。そもそも劇場版まどマギを、映画の地平から(あるいは映画評の地平から)見渡すことは、ほとんど不可能に近いのである。
アニメでは映画が作れないということを言っているのではない。最近であれば、宮崎駿の「風立ちぬ」などは映画として観ることが出来る。「風立ちぬ」に限らず宮崎駿作品は、映画的な演出を踏襲した上で、アニメーション的な演出を取り入れているので、映画としても、アニメとしても評価することが出来る。また総合的に、アニメ映画としても評価することがきるのである。ちなみに僕は「風立ちぬ」を、映画としてもアニメとしても、またアニメ映画としても、宮崎駿の最高傑作であると言い切ってしまえるほど高く評価している。
しかしその点まどマギは、どこまで行ってもアニメの域を出ない。「域を出ない」という言葉に、批判的な臭いを感じ取ってもらわないでほしい。なにもアニメよりも映画が優れていると言っているわけではないのだ。
とにかく。劇場版まどマギは、アニメとしては非常に優れた作品ではあるけれど、映画としては評価することができないというのが、一回目の観賞を終えたところでの、ネタバレなしの感想です。一回目の、そうですね、早くも二回目が観たいです。最低三回は観たいですね。二回目は僕なりに物語を読み解いた上での観賞。三回目は様々な批評なり考察なりを読んだ上での観賞。そして平行して再放送されているTVシリーズの観賞。いやー、まどマギ漬け。

あはは、なんだ俺、まどマギ好きじゃねえか。

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