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ティラノサウルスによろしく

マジで「禁」する5秒まえ

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マジで「禁」する5秒まえ

『MK5』って、広末涼子の歌が先だと思っていたけど、ギャル語のやつが語源だったのね。


なんてことはさておき、春だから、春は馬鹿と変態が多いから、私もどうにももう駄目だから、安直な禁欲などしなければなりません。
そんなことを、昨日の夜に思った。
私はこの五年間、自分の心の弱さをよく肯定してきました。
その一瞬一瞬だけのやりたくないことを、やらないということが、なぜかとても大切に思えたものです。
そして、その代償として、私は酷く苦しむことになります。更なる面倒を背負い込む破目になります。強制され、指導され、更生するよう促されます。
それでも不思議と、あの時ああしとけばよかった、などという後悔はありません。
どうせ同じだと思ったからです。我慢して得ることの安楽と、堕落して得ることの苦しみが。もしくは、そんな簡単であってはならないと考えていたからかもしれません。今我慢すれば将来楽ができ、今楽すると将来苦労する、そんな簡単な方程式がまかり通るような人生であってたまるかと、考えていたからかもしれません。
私の人生が簡単であってたまるかという、私の強迫観念染みた信念は、私を執拗に追い込みます。
私は賭け事に溺れ、金作りに奔走し、辛い仕事に苦しみ、なにも手に付かず、行き場所がなく、また賭け事に手を染めます。
ギャンブルに居場所を求めちゃおしまいだよと、一人呟きながら、お金を稼いだそばからなくしていき、私は震える手で、そっと顔を覆うのです。
そうした日々が積み上がって、自覚せぬうちに土台から、水の泡のように静かに消え去ります。後ろを振り返ると決まって鋭い風が吹き、私はそれに驚かせれて、何があって何がなかったのかを、存在の有無のその有無さえも、すっかり忘れ果ててしまいます。
私はそういったすべてを、肯定してきました。
それが信念であったからです。
それでもやはり、辛い目に遭う度に、尋常ではない叫びがどこかから、聞こえてくるのも確かなのです。
「私は私を苦しめたいわけではあるまい。私は私を苦しめたいわけではあるまい。私は私を苦しめたいわけではあるまい。私は私を苦しめたいわけではあるまい。私は私を苦しめたいわけではあるまい。私は私を苦しめたいわけではあるまい。私は私を苦しめたいわけではあるまい。」
私は神様に祈ったりもします。本当に祈ったりもするのです。月の光りにあてられて、涙を流しながら、跪いて手を組み、ただ救いを求めるのです。


だからもう辛いから、信念捨てて、禁欲しまーす。
中途半端は駄目だから、ぜんぶ諦めて、拒否しまーす。
すこし晩いですが、それを今年の目標として、定めさせていただきます。
ばいばい。

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