もう12月だしちょっと今年放映されたアニメを振り返ってみようよ。
と、いうわけで「作品データベース」で2013年のアニメ評価順でドーン!
一位、進撃の巨人
二位、みなみけ ただいま
二位、みなみけ ただいま
二位、みなみけ ただいま
二位、みなみけ ただいま
み な み け た だ い ま
これ今年のアニメかよ嘘だろどういうことだよ。
もう時の流れが早いのか遅いのかなんなのか。いったいなんなのか。
どこかしらが「早い」はずなんだけどどこが「早い」のかわからない。俺か? 俺が早いのか? じゃあ俺の何が早いんだ?
まあいいや。それでみなみけ、見てましたけど何話目だったか、多分中盤くらいで見るの止めちゃったんだよな。別につまらなかったとかじゃなく、というか面白かったし、面白かったのだけど、面白かったはずなのに、面白いで有名なみなみけ、面白い登場人物が登場するでおなじみのみなみけを、どうして見なくなってしまったのか。
スタミナが切れたのだスタミナが。なぜだろうかみなみけのような日常ほんわかてんやわんや百合ミニスカート男の娘パンチラ汗ニーソックスバスタオル二宮くんランドセル恋の病セーラー服美少女アニメは、妙にスタミナを消費してしまうのだ。キツい。一話見るともう結構キツい。その結構キツい一話を見逃すと、次の週には結構キツい一話が二話になり三話になりやがて見なくなってしまう。見ることが怖くなってしまう。そして逃げた。俺はみなみけから逃げた敗走者だ。みなみけに付いて行けなかった敗残者だ。
いつからだろうこの手のアニメ、このいわゆるゆるゆるゆるゆるアニメへの対処法を、鑑賞法を、楽しむ術を見失ってしまったのは。いや楽しむ術などと馬鹿なことを言っているから楽しめないのであって、もっと単純に画面上で繰り広げられる映像を享受していればいいのではないか。しかしそのようにこの手のアニメと相対することができた時期というものが果たして存在したのだろうか。だいたい自分で書いておいてなんだが、「この手のアニメ」という言い回しも大変気に食わん。まあ「この手のアニメ」としかいいようがない「この手のアニメ性」を帯びているのがみなみけであって、その他に例を挙げるならあずまんが大王であるとか、そのあたりだ。そのあたりのアニメのことだ。ゆるゆりごゆるりなアニメのことだよ。いや「ゆるゆり」は見たことないのだけども。
遡る。
あずまんが大王は、楽しく見れたはずなんだよな。確か高2か高3のときだったと思うのだけど、楽しく見た記憶があるよ。それもやたらスタミナを消費すようなこともなく。それから同じくらいの時期に見たらき☆すた。これも見れたよ。見れた。そこまで消費することなく。もっと遡ると中2の頃、「あまえないでよっ」という今見たら地獄絵図間違いなし阿鼻叫喚系破廉恥美少女サービスアニメなんかも、フツーに見てたな。見てた。スタミナも消費してなかったはず。その代わりダイレクトに精液を消費していた気もするが。いやよく考えたら「あまえないでよっ」ってあれだ、日常系アニメというわけではないわ。
日常系。そうだ日常系。こんなに分かりやすい言葉があったではないか。僕はこの日常系アニメに対する耐性が、年々弱体化してしまっているらしい。それが証拠にあずまんが大王もらき☆すたも、それこそみなみけの一期だって確かにそこまで消費することなく見れていたではないか。僕にだって単純に画面上で繰り広げられるぼんやりをぼんやり楽しめてた時期があったのだ。あったじゃん。
弱っている。日常系アニメへの耐性が。そうだろうか。そもそもそれは弱る強まるで語れる代物なのだろうか。違う。違うだろ。もっとこう、潜在的に日常系アニメを受け付けるか受け付けぬか、見れるか見れぬか、ということだろうよ。それでいったら僕は潜在的に、受け付ける側であり見れる側であるはずなのだ。
おそらく、スイッチが入っていないだけなのだ。今は日常系アニメを受け付ける回路が、ちょっとショートしちゃってんだろうな。この前、結構話題になってた「キルミーベイベー」を見始めたが一話の途中でダウン。何が悲しいって決してつまらないから鑑賞を止したわけじゃないってのがね。つまらないのであればまだマシだったんだが、ぼちぼち面白いのに見れないっていうのが悲しいよ。それからつい先日、眠れないからという理由で、テレビでやっているのを見た「のんのんびより」もそうだ。つまらないわけじゃない、それなりに面白いとは思う、でも受け付けない。こんな悲しいことはないぜ。
スイッチ。スイッチを探し当てればいいのだ。パチンと押しさえすれば日常系アニメをめっちゃ楽しめるような。ぼくのスイッチを知りませんか、行方不明になりました。僕の右手を知りませんか、あまえないでよでシコってたあの右手。そっちは探さなくて結構!!!!!!!!!!!