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盆暗よ、大志を抱け

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盆暗よ、大志を抱け

盆暗とラジオとツイッターとコミュニケーションと。









高校時代の僕は、かなりの盆暗であった。
何か大きなことをなしたいという気持ちばかりは大きく、かといって何をするわけでもなし、ろくに勉強もしないくせして斜に構えることだけは一人前で、いたずらに時間を浪費し、友達もあまりおらず、たいした恋愛もなかった。
こういった、典型的とも言える盆暗な学生は、妙に自己顕示欲が強いものなのだ。
と言うのも、日常生活の中で自分の胸の内を曝け出す機会が、いわゆる「リア充」と呼ばれるような人間に比して、圧倒的に少ないからである。
しかし、徹底的に閉じこもっているわけでもない。
僕の場合、音楽があった。
同じ高校に進学した中学の同級生とバンドを組み、学校生活から逃げるように、それに打ち込んだ。特にプロになりたいなどという気持ちもなく、ただ逃避としてバンド活動に打ち込んだ。そしてそれは、ある程度充実していたように思う。あるいは、充実していたかのようにうまく自分をだまくらかせていたと思う。
僕の場合は音楽であったが、人によっては映画を撮ってみたり、小説を書いてみたり、漫画を描いてみるなどして、自分の内に溜まってゆく、どこに吐き出していいのかもわからない、悶々とした感情をぶちまけることで、のっぴきならない自己顕示欲となんとか折り合いをつけ、日々を送るということもあるだろう。
また、もっと受け身であってもいい。アングラな音楽を聴いたり、小説や漫画を乱読したり、アニメ漬けの毎日を送ったりということも、盆暗学生にとっては慰謝になりうるのだ。慰謝になりうると同時に、自己顕示にもなりうるのだ。

さてここで一旦話題を変えて、ラジオについての話。

最近「有吉弘行のSANDAY NIGHT DREAMER」というラジオ番組を知った。
東京は半蔵門、JFNスタジオから生放送されているのにも関わらず、東京FMではネットされていないため、そこまでお笑い関係の動向にアンテナを張っていない僕は、今までは知りもしなかったのが、先日YouTube内をウロウロしていたところ、なんの拍子かこのラジオ番組の傑作選のような動画にたどり着き、そうして聴いてみるとこれがめちゃくちゃ面白い。
まあ傑作選というやつは、数ある放送の中から選りすぐりのトークなりを集めたものであるから、面白くて当然なのだが、ここまでか、というほどに笑わせてもらったので、それから以降、本放送はリアルタイムで聴けないものの、翌日か翌々日に本編をまるまるYouTubeにアップしてくれる愛すべき不届きものの力を拝借し、聴取させていただいている。また、あんまりにも面白いので、2013年の放送分はすべてiPodに落とし、今日、ようやくすべて聴き終えた。ちょっとヤバいんじゃねえか、このペース。時間の無駄とは言わんが、それにしても。まあいいや、続けます。

サンドリは、日曜のゴールデンタイムに生放送されているのだが、内容は完全に深夜ラジオのノリである。バンバン下ネタが飛び交い、メインパーソナリティが毒舌でのし上がってきた有吉であるせいか、かなり毒と灰汁がキツい番組になっている。とはいえ、月ごとに変わるアシスタントが必ず付くので、いい感じに毒が中和され、かつ独りよがりにもならず、それがまた良い。
さて、サンドリではリスナーのことをゲスナーと呼ぶという文化がある。つまり、サンドリを聴くものは、下衆であることが条件なのだ。そのため、コーナーなどに寄せられる投稿も、「無職」「童貞」「住所不定」など、どうしようもない肩書きを持った方のものがほとんどを占めるのである。
しかし、今年のエイプリールフールの前の週に「本音を言おう」ということをテーマに、番組中にメールを募ったところ、「僕は本当は無職でもなければ、毎日暖かいベッドの上で寝ています。すみません」といったような投稿が相次ぎ、それに対し有吉が「いいんだよ、そんなこと分かってるからいいんだよ」と、呆れたような声を上げ、笑いを誘うというくだりがあった。
サンドリのリスナーはこのような嘘つきばかりなのか。そうではない。
僕も、衣食住は保証された環境に住んでいる。少ないが、友達もいる。童貞でもない。一応、学生という職業も持っている。しかし、サンドリを聴いているときの僕は、無職であり、童貞であり、住所不定であるのだ。否、無職的、童貞的、住所不定的であると言うべきか。
ラジオ、特に深夜ラジオというものには、奇妙な一体感がある。その原因の一つとして僕は、深夜ラジオ番組のそれぞれが持つ、独自のコミュニティの存在というものがあると考えている。
たとえば、サンドリ(深夜ラジオではないが、深夜ラジオ的番組ということで許してネ)を例に挙げれば、先に述べたように、聴取者は下衆であることが絶対条件である。とはいえもちろん、ゲスナーの中には本当は無職でも童貞でもない人間も多いだろうということは、先の「本音を言おう」に寄せられたメールを参考にしてもらえれば明らかである。しかし、「下衆なラジオ番組」という枠組みから外れた投稿はほとんど無い。皆がその枠組みに合うような肩書きを作り上げ、その枠組みに合うような投稿をして、「深夜ラジオのコミュニティ」は成立してゆくのである。
枠組みに合わせて肩書きを作り、投稿をするということが、別に嘘をついているわけでは無いということはすでに書いた。これは僕の勝手な偏見であるのだが、サンドリの聴取者は、実際にはそうでなくても、無職的・童貞的・住所不定的なところはあるのではないか。また深夜ラジオ、特にお笑い関係の番組は総じて、そのような人間を積極的に受け入れる文化を持っていることは、少しラジオを聴く人間ならば分かることだろう。

お笑い関係の深夜ラジオというのは、最初に書いたような盆暗学生の、慰謝と自己顕示の場としても機能している。無論、学生だけに限らない。盆暗社会人も同じく、である。
学校や会社という、半強制的に参加を余儀なくされるコミュニティに違和感を抱くような人間や、ちっとも馴染むことのできない人間は、他のコミュニティを求めるようになる。気丈な人間ならば、独りでもやっていくことができるだろうが、なかなかそんな立派なダメ人間は少ないものだ。深夜ラジオのコミュニティは、そんな盆暗どもを受け入れてくれる。
はじめは、一リスナーとしてそのコミュニティに参加するだろう。それで満足する人間も多いだろうが、中には投稿を始めるものも出てくるだろう。自分の考えた面白いネタを、自分の日常生活の様子を、あるいは自分がラジオネームに託した人物像の日常生活の様子を。僕は投稿をしたことがないので推測になるが、自分の投稿がメインパーソナリティに読まれれば、おそらく「認められた」ような気になるのではないか。それまで学校や会社というコミュニティにうまく馴染めなかった人間ならば、自分の投稿が読まれることに、底知れぬ快感を覚えるだろう。たぶん僕も、必死に考えたネタなどを投稿したとして、実際に読まれたら、本当に嬉しいだろうし、なんなら少し誇らしい気にもなると思う。

最近、立て続けにツイッターの話題になってしまって申しわけないのだが、ここで懲りずに少し。
今、このインターネットの時代、「ラジオへの投稿→採用」という流れがもたらす快感を、ツイッターを始めとするSNSサイトで、もっと手軽に味わえてしまうようになってきている。
作家の高橋源一郎が「学問ノススメ」というラジオ番組の中で、ツイッターについて「みんながそれぞれDJになってラジオ番組をやっているような感じ」と語っており(うろ覚えなので一語一句同じというわけではないです)、そしてそこが面白いと言っていた。
なるほど、確かにツイッターはラジオ的である。DJ的なアカウントというのも一定数あって、そのフォロワーは、リスナーと呼ぶことができる。
ただ、投稿者的なアカウントの数も多い。投稿者的なアカウントは、自分で番組を作るということはなく、ツイッター上に様々あるコミュニティに属し、そのコミュニティの中から投稿者の立場でツイートをするアカウントのことである。似た者同士のコミュニティの中でツイートし、フォロワーからリツイートやお気に入りをされることが、ラジオ番組で言うところの「採用」の意味合いを持っており、その「採用」の数を増やそうと齷齪するのである。実際にラジオに投稿するよりも簡単に他者から「認められた」ような感覚を得られるのであるから、まったくお手頃である。また中には、お気に入りというものが単にコミュニケーションのツールになっているアカウントも見受けられる。もうこういうアカウントはね、申しわけないですけど、洒落臭い。と言わせてもらっていいですかね。すみませんが。

さあ、現実世界のどのコミュニティにも馴染めない盆暗ども、どうするのだ。ツイッターで星のやり取りをして満足するか、深夜ラジオのコミュニティに、投稿を通じて脚を突っ込むか。
いや、ツイッターに限ったことではない。
ニュータイプの盆暗は、ネット環境が整っている場合がほとんどなので、漫画を描けばネットにアップできる、小説を書けばネットにアップできる、映画を撮ればネットにアップできる、なんの才能もなくても、言葉さえ喋れればニコ生、実況主、クソがよお、いとも簡単に不特定多数の人に自分という人間を知ってもらうチャンスが用意されているのである。
こんなにラッキーなことはないと思う反面、こんなに不幸なことはないなとも思う。正直、僕が高校の時分にツイッターとかが普及していなくてよかったと思っている。あぶねえ玩具だよ、あれは。
安易な自己発信で身を切り売りするのは簡単であるが、そんなんでいいのか、盆暗よ。
我慢だ。鍛錬だ。そしてその継続だ。頑張れ。頑張るんだ。
しかしはっは! オレはブログを更新しているしツイッターもやってるぜ!!!
正直自分でもいまなに書いてんのかよくわかんねえし眠いよ!!!!!
なんだこれおい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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