たまってた京騒戯画ぜんぶ見たよね。
十話は短かったと感じたよね。
束の間であっても、倒すべき敵をはっきりして、戦闘時におけるカタルシス的なやつを感じさせて欲しかったもので。
きっちり正義と悪を分けてくれとは言わないし、それはそれで退屈だと思うんですけど、戦うシーン良かったから、余計に。
ちょっと悪者なんていない感、におわせ過ぎでしたよ、やっぱり。
まあ身内だけで展開するストーリーだから、しょうがないか。
でもスターウォーズ的スカイウォーカー的ファミリーストーリー展開が燃えるのよ、男の子的に。
などと言いつつ、見てよかったと思えるアニメでした。ええ。やっぱりアニメっていいなあと、僕は改めて思いました。ええ。OPの最初の方でコトが変身ポーズみたいのとるのがちょう可愛かった。ええ。釘宮さんやっぱりいいよね最高です。ええ。
http://animeanime.jp/article/2013/10/25/16064.html
作品を見て感じた印象の答え合わせなど、やはり悪趣味であると言えど、それの楽しさには否定できないものがあるので、まあ興味がありましたら上のアドレスで。だいたいの感じは掴めるのではないでしょうか。
監督若いんすね。
来期のアニメのタイトルのラインナップをぱっと見たときに思ったこと。
魔法っぽいタイトル多過ぎじゃないですか。
まあそれ置いといて、タイトルに「ノブナガ」って入ってる作品二つあるんですけど大丈夫ですか。
そう思って公式のあらすじを貼ってみる。
まずは『ノブナガ・ザ・フール』
東洋的な世界と西洋的な世界が対立関係にある星を舞台に、時代に名を残した英雄たちが国や時代を超えて世界に大きな変革をもたらす物語。西の少女ジャン ヌ・カグヤ・ダルクは、世界を救う「救星王」の誕生を予見する。一方、東の「うつけ者」と呼ばれるオダ・ノブナガは、群雄割拠の中で世界を変える力を欲していた。そして東と西、ジャンヌとノブナガが出会う…。
次に『ノブナガン』
女子高生小椋しおは、ある日、自分が織田信長となり、遮光器土偶のような異星人によって「魂」を採取される夢をみる。
生来の不器用さから、修学旅行先の台湾でも単独行動にはげむしお。その彼女にクラスの人気者、浅尾が強引に写真をとって「友達になろう」という。
そこへ“進化侵略体”が襲来。迎撃する台湾軍との戦闘に浅尾が巻きこまれたことを知ったしおは、混乱のただ中へと走る。そこでE遺伝子(ジーン)ホルダー“切り裂きジャック”が戦う姿を目撃。優勢に見えたジャックだったが…。
ふうむ。あらすじってろくなもんじゃないな。でもとりあえず、大丈夫そうですね。
なにが大丈夫かって聞かれたって、僕にもわからないんですけど。とりあえず僕は生徒会役員共は一期は見てたので二期も見ます。はい。
それはそうと、どうでしたか三箇日。エンジョイした?エンジョイ?エンジョイ!音楽は鳴り続ける!
ココロオドルうんたらかんたらさておいて、どうでしたか三箇日。
まったくふざけんじゃねーよって話しですか。ったく正月早々、酒と金の話ししかできねーのかって感じですか。こらてめえ、痛い目遭わすぞこらって思いでいっぱいですか。いま僕にんにくを生でぼりぼりぼりぼり食ってんですよ。においぷぷぷんですよ。生でにんにく食った後にコーラ飲むと舌が怖ろしいほど痺れて痛いぐらいなんですよ。豆知識として知っておいても損はないんじゃないですかね。
どうなの正月って。いったいなんなの正月って。
新しい年の始まりはなにやっても許されるとでも言うんですか。
まったく我々は正月以外は休みなく畑に出る農民というわけでもなく、長い歴史ある旧正月を祝っているわけでもなく、ただハッピーニューイヤーの名の下に怠惰を貪り食っている。
これが形骸化だと揶揄されているクリスマスとなにが違うというのでしょう。
形骸化されたものに踊らされ、自らが骸と化すというこの図式。
それにしてもいったい、形骸化していない祝日や伝統行事などあるのだろうか。国民の祝日として国に保護されているということは、それを法律という保護下に置かなければいずれ衰退し危急し絶滅するということを意味している。即ちすでにそれらは生活から切り離されて、無用のもの化したのである。
しかしながらそれは日本人を日本人たらしめるために必要なものなのかも知れない。だからこそ国は保護したのであると。
でもやっぱりどうしても、胡散臭さは拭えないっすよねー、
と僕はここまで考えてふとこう思ったのよ――「でもお年玉は欲しい」と。
この気持ちがあるならば、あれ、正月って別に形骸化してないじゃん、と思ったわけ。急に自己完結しちゃって申し訳なく、恥ずかしいのだけど、そう思って感動すら覚えちゃったんですな。
お年玉が欲しいって気持ちがあるなら元旦は存続していくし、豆撒きたいって気持ちがあるなら節分は存続していくし、雛人形飾りたいって気持ちがあるなら桃の節句は存続していくし、柱に自分の身長を刻んで粽食べたいって気持ちがあるなら端午の節句は存続していくし、お婆ちゃん家行きたいって気持ちがあるならお盆は存続していくし、サンタさんが来てプレゼント届けて欲しいって気持ちがあるならクリスマスは存続していくし、紅白見ながら家でゆっくりしたいって気持ちがあるなら大晦日は存続していくんだよね。
そうやって日本の文化と伝統は、色んなものを失くしたり付け足したりしながら続いていくだなあという、あたりまえのことに今さら気付かされ、感動すらしちゃったんですね。
でも僕らは大人になっちゃった。お年玉貰えない。じゃあどうする。お正月の衰滅を願うか?
いやいや、お金じゃなくてもいいからさ、近所のガキにでもいいからさ、あげようよ、何かしら。
もう、いい大人なんだからねえ。まったく。
お年玉欲しいよう!!