冷えきった俺とキルラキルの熱さと
と、キルラキルに関しての感想なりを書こうと出だしまで書いたところで一服していると、ちょうどCSで映画「桐島、部活やめるってよ」が始まって、どうしようかな最後まで見ようかな迷うななんて思案している内にグイグイと映画に引き込まれてしまい、結局最後まで見ていま、キルラキルの感想は止して「桐島〜」について書こうか、という気になっています。てゆーか書きます。ただ、あした早いんでめっちゃ短めでいきます。
細かい内容の話は止そう。ここがどうだったとか、或はここがどうよかったとか、そういう話は止しにしよう。なぜなら、いまぼくは興奮しているのだ。いい映画を見ると興奮する。だから「桐島〜」はいい映画なのです。泣きました。落涙しました。泣いたからと言ってそれがいい映画という評価につながるわけではないことはわかっとりますが、こいつはいい映画だよ、ほんと、掛け値なしに。
青春映画だった。しかし青春ということばではあまりにも範囲が広すぎるので、ぼくとしてはこの映画を「制服映画」と呼びたい。みんな悩んでいた。どうしようもなかった。それでもどうにかしようとしたりするし、しなかったりもする。部活をしていたり、していなかったり、やめたりする。なぜ将来に直結しそうも無い部活に精を出すのかわからないやつもいるし、わかっているやつもいる。わかっていながらそれでも部活に精を出すやつもいる。悩んでいる。頑張っている。謎の力が出て来る。名状しがたい力が発揮される。しかし本当は、その力にはつまらない言葉を当てはめることが出来るのだろうと思う。それは野暮だ。それはつまらない。だからやはり、謎の力でいいのだ。
制服を着た青春は、まったくどうしようもない。どうしようもないから悩む。悩んで、ときどきあがいたりするし、もがいたりするし、人によっては戦ったりする。悩まない奴はだれる。だれながら、あがいたり、もがいたり、ラジバンダリ、戦ったり。やり方はどうであれ、みんな頑張っている。頑張っているのだ。だれているやつだって、頑張っているのだ。
制服を着た青春は、悩んで、頑張って、謎だ。謎なのだ。謎があるのだ。
「桐島〜」は、悩んで、頑張って、謎な映画だった。でも、すごく輝いていて、泥濘んでいた。