くたくたに疲れた。
反対から読むとたくたくである。
睡眠不足と煙草の吸い過ぎによる慢性的嘔吐感プライスレス。
胃がやられているかもよ。
今日のうちになんとか、糸井重里の家族解散を読み終えた。借り物の本なので、はやく返さなければという使命感からである。ろくな理由じゃないですが、もう最近はそうゆうのないとなかなか本に手を出せない、ダメ、ああ気持ち悪い、はやく寝よ、飛行機でワイン飲んだのがいけなかったのか、関係ないか。
家族同士の遠慮って、あたりまえに存在するよなあ。それは。あたりまえすぎて気にしたことなんてなかったもの。特に父さんに対してなんか他人より気を遣っているよね。父さんが僕にものすごく気を遣うから、僕もすごく気を遣わざるを得ないもの。一緒に酒飲むときぐらいだよなあ、必要以上の気遣いがなくなって、多少打ち解けるのは。だから僕が初めて父と一緒にお酒を飲んだときは、やっぱり感動しましたよ。素直の嬉しいと思いました。
家族解散のストーリーの中に酒がなかったから、あんなに悲しい結末だったんじゃないか。でもどうだろう。酒はがあったらあったで、今度は女たちとの間に暗い影を落とすからな。だいたい理想の家族像といったって、そんなのねえ。最近ふとした会話の中で、他所の家庭事情を聞く機会があって、その度にその人と僕との家族像の間の隔たりが、あんまりにも大きいので、とても驚いてしまったのだけれど、どちらが正しいのだろうか。どちらが正しいもないのか。
僕の家は大げさに言ってしまえば、やっぱり、解散してしまっている。家族の中の馴れ合いというものがないし、各々が完全に独立してしまっている。親と子の間の経済的な問題も、親の義務と子の責任という形で、しっかり切り離している。そりゃまあ、僕も親のすねをかじる度に後ろめたさを感じるけども、子としての責任をまっとうするまでである。後ろめたさも、その責任に含まれるべき一部分として僕は享受して、労働への意欲に変換することによって合理的に処理している。
しかしながら、よくこんな解散的家族を、この家の女性が、母性が、よく許したものだと思う。東北大震災が起こったころ、テレビやラジオでがんがんに団結を呼びかけてたあのころ、母は泣きながら僕の部屋に入ってきて、家族がばらばらだと言った。僕はなにをいまさらだと思った。それから母は僕にくどくどと父に対してなんら愛情を抱いていないことや、この家族はおかしいということを説明し始めた。その時は東京はちょうど計画停電中で、僕はバイトがなくだらだらと床に寝そべりながらパソコンでニコニコ動画を見ていた。僕はどうしたらいいのかわからず、家族に大変な危機が迫っているような気がしたが、そんなことはないなと思い直した。実際、そんなことはなかったのである。それからしばらくたって、家族は元通りにばらばらを謳歌し始めた。
家族仲はいいのよ。今度の土日みんなで千葉に行くらしいし。会話も多いし。愛もあるし。
ただちょっとドライなんですかね。僕は1番居心地のいい家族形態だと思ってるんですけどね。お互いがお互いに面倒見がよくて、わりかし自由な家風です。どうぞよろしく。
あれ? よくよく考えてみたら、うちの家族ぜんぜん解散してねえや。
上の記事、全部なかったことにしといてください。どうぞよろしく。