昨日は遅くまでだらだらとまずい酒を飲んでいた。
こういう時私は本当になんかマジでぶっ殺してえみたいな気持ちになる。
まずい酒っていうか、まあお酒はいつだっておいしいんですが、まずくたってそのまずさがたまらないんですが、こうね、大勢でわいわいがやがやみたいなやつがね、なんだろう、やっぱりお酒は一人で映画とかアニメとか見ながら飲むのが一番気持ちいいですよ、でもあれはあれでぶっ殺したくなるというか酔いがまわってくると本当にマジで死にたくなりますよね、なんだよ、面倒くせえな。
そういうわけで一念発起をしたい。くだらない日常にさよならを。じゃあ有意義な日常ってなんだよ、なんて考えていくと、ニヒルな俺がこんにちは。それも気持ち悪いからね、バランスが大事。孔子も言いました、中庸が大事だと。過ぎたるは猶及ばざるが如しだと。
だからメリハリというやつが必要になってくるわけだけど、そのメリの部分、ん? ハリの部分? をどうやって過ごすかが重要なわけで、そして私は考えたんだが、別に考えるまでもなく、勉学に励もっ、と思った。学生の本分ですから。
そして私の生活上において、“くだらない”部門の筆頭に君臨しているスマートフォンをいじくってソシャゲをやってる時間と、当てなく目的なくネットという海をサーフィンをしている時間をぶっ潰して、さーて、なにを勉強しようか。
勉強。
産まれてから死ぬまで、おそらくこいつの大切さは散々言って聞かされそうな憎いやつではあるが、思えばこの言葉と知り合ってからずいぶん長いことになるな、なんていう感慨は特にはないし、私は関西の人間ではないので、値段を安くするという意味でこの言葉を用いたこともない。小学生の頃好きだった教科は国語で、嫌いだった教科は記憶にないが、体育の授業は着替えるのが面倒だったという思いがあったのを覚えている。中学生の頃好きだった教科は音楽で、ブラスバンド部にも所属し、トランペットという金属に息を吹き込むことに励んだ。そしてちょうどこの頃バターバナナサンドという食べ物を知る。というのも授業中に食パンにバターを塗って輪切りにしたバナナを挟むという行為を強いる英語教師がいたからである。その授業内容の目的や意図などは皆目見当がつかないが、私はそのバターバナナサンドババアという名の英語教師のおかげで、英語という科目に苦手意識を持つようになり、それは生涯続くかもしれない。高校生の頃好きだった科目は歴史で、嫌いだった科目は水曜の午後の西日が差し込むために窓はカーテンで常に閉ざされた教室の室内は薄暗く生暖かく喋る教師の声は酷くくぐもっていた数学Bでした。そして別に授業が嫌いというわけではなかったんですが、やっぱり英語の成績は目も当てられないほどの最悪な七変化を遂げており、これがかつて神童と謳われた男の通知表かと、母は泣き、父は酒浸りの日々を送り、一家離散、弟は炭鉱掘り最中陥落事故に巻き込まれ、妹は吉原に売られ、私は今や村の悪代官の狗に成り果てる、という悲劇は起きなかったんですが、休み中に催される英語の補習には、私は毎回出席しなければならなかったというのは、事実です。
ということで、私は高校時代に好きだった科目である、歴史の勉強をすることにした。温故知新です。はい。