両手で抱えきれない夢を喫茶店でぶちまける高校生
この前ドトールでアイスコーヒーを飲んでいたときの話。飲みながら私は本を読んでいた。古川日出男の『サウンドトラック』という小説。氏の代表作的な位置付けになっているらしいが、読んだことがなかったのだ。今はもう読了している。面白かった。熱くなった。文庫版刊行にあたって作者自身のコメントが最後に収録されていたが、曰く、フルカワ紀元というのものがあるとするならばそのゼロ年はこのサウンドトラックであるとのこと。そして、歌はここからはじまっているとしている。つまり、こういった文章が許されてしまうフィールドを作り上げるのが上手いんだ。とてもいい小説だった。
しかしドトールでアイスコーヒーを飲んでいた私はまだ読み終わっていない。カウンター席の端で壁にもたれかかりながら煙草を吸いながらその本を読んでいると、隣にガタイのいいアンちゃんが二人やって来て座った。何か話している。その声の大体は単純な音でしかないが、その中で強い単語、たとえば「同じクラスの」「就職」「卒業」「大学」「十六歳」などはしっかりと意味を成して耳に届く。
どうやら彼らは高校二年の十六歳であり、喫煙席で堂々と煙草の煙をスーハーしているのはおかしい。おかしいが誰も指摘しない。十六歳の彼らは巨躯であり、漲っている。若い。溌剌としている。身体と声のトーンだけではなく話の内容も。悔しいが若い。若いと思った。思ってしまった。
「俺生まれてから死ぬまで一本道の人生なんてマジ厭だわ」と一人の男が言う。
「わかるわかるくねくね寄り道しながら行った方が絶対楽しいべ」ともう一人がノる。
「そうそう、それで寄り道の途中にイベント欲しくね?」
「わかるわイベント欲しいわ」
「普通に働いて二三人女と付き合って結婚して安定して死ぬのって全然面白くなくね?」
「なー、別にそんなに金いらねえから楽しく生きてえわ」
「だよなー死ぬ寸前になって楽しかったって言えたら勝ちじゃね?」
「それ勝ちだわー大体真面目に働いて金貯めても死ぬ前になって人生振り返って何にもなかったってなるなんてマジ虚しいだけだろ」
「わかるマジわかるわ」
「死ぬまでに楽しいこと全部やりてえな」
すでに本の内容など入ってこない。集中している。隣の会話に。聞き耳を立てている。そして悔しかった。負けている。私はドトールでアイスコーヒーを飲んでいて、それだけだった。おそらく隣の二人は本を読まない。古川日出男のサウンドトラックを知らない。しかしそれでも二人は楽しいことを全部やる気がする。やってくれと思う。
本を読まないなんてアニメを見ないなんて人生損しているなどとはよく言ったもので。けれど読む必要も見る必要もない者はいる。まず隣にいる。少なくともサウンドトラックを読む必要のない人間が二人隣に座っていて、しかし彼らはサウンドトラックそのものなのだ。まさにそうだった。鳴らしていた。古川日出男はこの隣の男二人の声を上手くチューニングして文章にする。
全部やりてえよな。わかるわかる。ただそれを聞いた私は、それを了解するまでに一拍の間があった。その一拍の間に、若いなと思ってしまった。恥ずかしかった。ドトールの一番端の席で私はひどく惨めだった。そして煙草に火を点けた。恥ずべきは私の老いぼれハートで、彼らの会話はその通り全面的に正しい。支持します。ただし齢十六で喫煙席に堂々居座るのはいけない。支持しません。馬鹿野郎帰れ家に。俺だってまだまだ若いんだからな。