胃と父と、煙草と酒と
最近、胃が痛む。
お粥がおいしいと感じて、そればかり食べている。
かと思えば、急に思い出したように腹が減って、
周りが呆れるぐらいにしこたま食べだす。
胃が弱っているのである。
煙草の吸い過ぎだとも言われるし、お酒の飲みすぎだとも言われる。
しかしながら別に、そんなに無茶をしているわけでもない。
あるいは、てんで無茶なことをしない私に愛想を尽かして、
からだの方から若さというものを見限り、弱体し始めているのかもしれない。
私は左手首の骨を二回、右足首の骨を二回、左足首の骨を一回やっているが、
胃をやられるほどには堪えなかった。
目に見える不便さは、その障害に打ち勝とうとする肉体と精神に活力を与えるが、
身の内でじわじわと滲む痛みには、どう対処するべきなのか戸惑ってしまう。
力は、有り余っているはずなのである。
ただ胃が痛むのだ。
本当ところ、やっぱり実は、煙草の所為なのかもしれない。
どうにも咽も痛いし、食道も痛いし、胃も痛いのである。
今吸っている煙草のタール数14g、これがいけないのだろうか。
すこし軽い煙草にでも切り替えてみようかな、
そんなことを思ったりもする。
そんな時、私は、父のことを思い出す。
父は、酒飲みである。
これは家族の人間どころか、周囲にいる誰もが認めるほどに、酒飲みである。
平日はいつも午前様で、べろんべろんになって帰ってくる。
休日もなにかにつけて飲んでいる。
もう50そこそこの年齢だが、よく体中に擦り傷をつくって帰ってくるし、警察を引き連れて帰ってきたりもする。
こないだは16時間飲んで、5時間の睡眠を挟んで、さらに16時間飲んで帰ってきた。
その時はさすがに、我が父ながら感服した。まだまだ親父には、とてもじゃないが敵わないと思った。
そんな父が、目の前にある酒を、飲まなかった日がある。
私が父のからだを心配して、プリン体とカロリーoffという、健康志向のビールを買ってきた時だ。
父は私の買ってきたビールを見て、すぐさま嫌な顔して「CMでやってるあのビールか…」と言った。
私は「そうだよ。通風とか気になるでしょ」とそのビールを手渡すと、父は「俺は飲まない」とそっぽを向いて、こう続けた。
「健康気にするぐらいなら、そもそも飲まないよ」
私は笑ってしまった。至言だと思った。
酒はもちろん好きだが、自分のからだを気にして、なんだか媚び諂うような飲み方だけは、したくないのである。
私もそうでなければならないと思った。
弱気になった瞬間、もうそれは自分のものでも、自分のためのものでもなくなってしまう。
それなら、すっぱりと、やめちまうまでである。
まあ母曰く、「馬鹿は死ぬか、大病に罹らなきゃ分からない」そうではあるが。
実際、なってみなくちゃ分からないよ。ねえ。