湯浅を知ります。
ここでも再三言ってますが、改めて、ピンポンスゲーって話。もともと原作であるピンポンスキーだったのだけど、アニメ観てピンポンスゲーなわけですいま。
そいで、監督の湯浅ちゃん、よく考えたら彼の作品観たことねえなあなんつって、こりゃ観なきゃ駄目でしょーなんつって、とりあえず「四畳半神話大系」をさ、観たわけね、この前。そしたらもうユアサスゲーになっちゃって、全力でツタヤに向かい俺は借りたぜ「マインドゲーム」。
そして既視感。ああ、これ!これね!これ湯浅監督作品だったんか! と。
高校生くらいのとき、たぶんCSか何かでやっているのを観たことを覚えていて、すげー印象的なアニメだったんだけど、タイトルとかは全然覚えておらず、そうして2014年、再びの邂逅を果たし、た!のだった!
作品の感想とか書いてるとクソナゲーな記事になって僕としてもクソツカレルーなので割愛するとして、湯浅ちゃんの奇抜演出に馴致した今なら! と結局だれて観なくなってしまった化物語の続きを観始めたらこれがもうぜんぜん駄目で、却って駄目で。どうしてよ…ねえ…どうして…と自らが魔女になっていたことを自覚するほむらのような悲痛はなかったけれども、自転車の行き違いでこちらが左側を走っているのにも関わらずこの世の悪はすべてお前に在ると言わんばかりの眼差しを遺憾なく放射させながら睨めつけて来るクソババアに対する苛立ちに似ていなくもないがやっぱりそんなに似ていない洒落臭さを化物語の演出に感じてしまうのは何故だろうとは思いまして。まあ答えは単純で、説得力の有無ってわけなんですが。
ピンポン、四畳半、マインドゲーム程度しか湯浅監督作品を観ていない僕がエラそうなことは言えないのだけど、少なくともこの三作は、すげー説得力を感じたね、映像に。
超奇抜な演出の連続なわけだけど、その奇抜さが自然言うか、「そうせざるを得ないだろう」っつう、妙に納得させられてしまう力を感じた。もう完全に力技、パワープレイよ。
説得力って意味じゃ、同じシャフト作品でも、まどマギ叛逆はよかったけどね。だってあれ、ほむらの内部世界だからね、なにやってもオッケーなフォーマットを築いちゃったって時点で制作者側の勝利ですよ。
最近、アニメとか映画とかで観てて、「いろいろ解らなかったり好きになれない部分はあったりするけど、このシーン最高すぎるからオールオッケー」的な作品に巡り会えることが多くって、チョーハッピーです。
たとえばつい昨日、ようやくコードギアス観たんですよ。R2はリアルタイムで観ていたのにも関わらず、終盤、20話くらいで止しにしてしまって、そこからもう何年よ? 6年? 随分かかったな。
で、まさかコードギアスでそんなチョーハッピーが待ち受けているとは思わなくて、虚をつかれた感じです。ただ、絵はコメディですけど。当時から笑ってた気がします、ルルーシュの顔芸には。