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ティラノサウルスによろしく

被験者番号101

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被験者番号101

なんかウルトラセブンのタイトルみたいじゃないですか。



あの世界のすべてを見渡せそうなほど見晴らしのいい崖の縁であらゆる森羅万象を紅に染めながら沈む夕陽に向かって私は友人が日本に帰って来るまでに自動車免許を取得しようと約束したという妄想が頭から抜けず妄想に取り憑かれしかし金がないので免許も取れない、のなら免許代を稼がなければならないだろうと考え、どうかこうかしているうちに気付いたら病棟の血も涙も無い純白のベッドの上で被験者番号101としてナナフシのようにじっと縮こまっていたというのが昨日までの話である。いわゆる治験と言うやつに初めて参加したのだった。
某治験紹介サイトから初めに応募した案件は、神奈川県で19泊20日の後通院を5回重ね47万円という莫大な報酬を得られるというものだったが、これは非喫煙者が対象ということを仲介会社から告げられ、それならば喫煙者でも入院可能な案件はござらぬのかと尋問すると、へえこんなんならありますけれどと紹介を受けたのが今回参加した治験であり、都内某所にて3泊4日を掛けること3回、報酬は16万円ということで、免許代には届かないまでも比較的短期間の内にこれだけ稼げれば御の字である。
とは言うものの紹介即採用と事は運ばないのは当然で、治験参加のためには事前検診を通過しなければならないのである。そして今回募っていたのは健康な成人男性である。私はこのブログ内でも告白している通り、痛風持ちであるからして、健康体とは言い難い。しかしなんたる僥倖か、事前検診をパスできたのである。炒り豆に花とはこのことである。メールにて合格の通知を受け取ったとき、私は何か大きなものに受け入れられたような心地がして、それはまったくギャンブルで得られる快楽に類似していたのだった。おそらく楽をして金を稼ぐというところが、ギャンブルによって煽られる射幸心と似通っていたからと思われるが、大学の卒業を間近に控えた今このタイミングで治験参加などというのは端から見れば完全に落伍者であり、このように喜び小躍りしている自分が多少恥ずかしく思えた。

さても、入所初日の入り時間は17時。
今のうちにと冬眠前の熊のごとくニコチン及びカフェインを大量に摂取、体内に溜め込み、若干具合が悪くなりつついよいよ病棟へ向かう。暇を持て余すのは自明のこと故、小説を二冊、漫画を一冊、念のためPCまで持参して行った。小説は読み止していた志賀直哉『暗夜行路』ヴォネガット『猫のゆりかご』、漫画の方は満を持して吾妻ひでお『アル中病棟』。胸熱である。病棟内でアル中病棟、胸熱である。
院内に到着し通された巣は懐かしい保健室の香り立ちこめる大部屋で、壁に面して十数台の真白いベッドが鎮座している。既に多くのモルモットちゃん達がベッドに磔になっている。時期柄大学生が多いのかと思っていたが、存外に私よりも年上に見える方々が多いように映る。ベテランの風格すら漂っている。ベテランモルモットはベテランらしくもの言わず布団を腰まで掛けじっとしている。ちなみに私の塒は運良く角であった。
言われるがまま病衣に着替え、ベッドに落ち着いた。落ち着いて、落ち着いたからには、もう退院まで落ち着き続ければならないのであるが、それはさしたる重荷ではない。なにせ落ち着き続けているだけで大金が手に入るのだから。
しばらくして後、看護師から今回の治験についての説明を受ける。が、それはここでは詳しくは明かせない。なぜならば、情報を口外することは止してくれとのことだからである。私はよくできたモルモットであろうと決めたので、規定にはしっかり従う。ルールからはみ出さない者はルール内の幸福を得ることが出来るのだ。尤も、急所こそ避けつつもこのようにブログに入院記的な何かを認めているというのは、あまり好ましくないことなのかもしれないが。
さて説明が終わると、もう就寝まですることがない。19時に食事が運ばれて、食事をとり終えたものから順次シャワーを浴び、もうあとは何にもなし。
さっそく本を読み始める。が姿勢が安定しない。ようやっと楽な姿勢を見つけ出し、しばらく書を読み進めるも、次第に楽であったはずの姿勢が厳しくなってくる。そしてまた楽な姿勢を探し、見つけ、裏切られ、探し、見つけ、を繰り返し、活字にあまり集中できないのは、姿勢の問題もあるだろうが、心境の問題もあるだろうと思われる。人間、何かの傍らに事を成した方がずっと捗るようで、いざ膨大な時間、超ビッグな暇を与えられると、却って重圧を感じてしまうらしく落ち着かない。違う、志賀直哉の所為である。暗夜行路は大変にいい小説であるけれど、非常にスローテンポな文章である。スローテンポな時間の中スローテンポな小説を読めば、ふんがーとなること請け合いである。であるから、早めに大将に出て来てもらうことに決め、バッグからアル中病棟を取り出し読みふける。やはり活字よりも漫画の方が今の状況には向いている。すっげー面白い。その頃には病棟独特の匂いにも鼻が慣れてしまっていたが、アル中病棟の中から病棟の匂いが香ってきそうなほどであった。
食事、シャワーを済ませつつ、アル中病棟を読み終わる頃に丁度就寝時間の22時。初日は早い。明日の起床時間は6時。疲れるようなことは何一つしていないのにも関わらず、また22時という中学生もビックリな早めの就寝時間なのにも関わらず、睡魔が目蓋をぐっともたげてくれる。ありがたいこっです。いや違う、違う違う、そうじゃな〜い〜。現に疲れている。確かに私は疲れている。脚が尋常ではなく痛むのである。筋肉痛である。懐かしく鈍いあの痛みである。さらに多少年を重ねたせいか、痛みの質も悪くなっているように感じられる。爽やかさがない。青春を感じない。筋肉痛に青春を思ったことは今まで一度たりとも無いが、それでもあまりに無慈悲で、無機質な鈍痛である。そして私はその鈍痛との格闘にすっかり参ってしまっている。
実は理由は明白で、脚はこの病院内で痛めたわけではないのだ。

入院前日のことですよ。私は田無駅前のサンマルクカフェに行ったのです。ちょっと気分を変えにね。まあ変える気分もクソもないのですが、とにかく行ったのです。自転車で。3キロとちょっとあります。仕様が無いのだ。私の家は最寄り駅というものが存在しない。経度は西武池袋線と西武新宿線の丁度中間辺り、緯度は池袋線の東久留米とひばりケ丘の、新宿線の花小金井と田無の中間辺りなので、どの駅に行くにしても3キロ前後あるという具合で、陸の孤島となってしまっているのです。
さても、アイスコーヒーを啜りながら本を読み、日も暮れて来たし家に帰ろうと店を出て、自転車置き場に向かうも鍵が無い。ポケットというポケット、財布の中、さらにバッグの中までまさぐってみても鍵の手触りを感じることが出来ず、徒歩での帰宅を余儀なくされたわけです。バスに乗って帰るという選択肢もあったのだけど、やはり金がもったいない。まあ大して焦っていないし焦る必要も無い。家には予備の鍵があり、鍵の在処も見当がついている。ちょっと歩いて帰るのは面倒だけれど、借りたばかりで聴いていないCDもあったし、それを聴きながら家に帰り、鍵を持って再び戻ってくるのも悪くないかと、軽い気持ちでいたわけです。実際、軽いことですわな。チョロい。3キロ強の往復ならチョロい。
で、家に帰り、久々に歩いたもんだから多少疲れている。小休止。の後いざ再び田無駅前へ。自転車の前に立ち、ポケットから鍵を取り、たかったのだけどその鍵が無い。というのも当然のことで、鍵を持って来ていなかったのだ私は。阿呆か。莫迦なのか。抜け作か私は。この時点で一往復。家に戻り鍵を持って三たび田無に向かい二往復。ここまで来てバスに乗るのも癪である。よし歩こう。歩こうじゃないか。まだ新しいCDがあるのだと、己のポンコツぶりに口元を歪めつつ家に帰る。まだ笑う元気がある。
で、家に帰り、さすがに10キロ程度歩いているのだから結構疲れている。小休止。の後、今度はしっかりキッチンのカウンターに置いてある小物入れから自転車の鍵を取り田無駅へ。もはや家帰りたいのか田無駅へ帰りたいのかわからなくなって来る。田無駅に向かう途中CDが終わる。聞き慣れた曲を流す。臑、及び脹ら脛が痛む。ようやく田無駅に到着し安堵。鍵を差し込み捻る、が開かない。頭の中でアニメ版カイジの時の立木文彦のナレーション風に「自転車、解錠せず……!」と再生することで辛うじてコメディとして消化できたが、正直言って堪える。何故なのだ。この運のなさは何なのだと己を呪い、しかしバスという選択肢は頑として拒否し、もう何度目かも分からない家に帰る。帰ると言うか向かう。家は飽くまでも中継点であり、目的地は田無駅なのだ。いや最終的な目的地はやはり家なのだが、そのしかるべき家にたどり着く前には田無駅に向かう必要があり、その田無駅に向かうためには中継点としての家に向かう必要があるということだ。つまり、日本からマダガスカルに向かうために一旦バンコク(中継点としての自宅)を経由し、そこからレユニオン(田無駅)に向かい、さらにそこからようやくマダガスカル(目的地としての自宅)に向かうということか。わかりにくい。しかしやり遂げなくてはならない。
満身創痍になりながら家へ、改めて小物入れを確認すると、もう一つ似た企画の鍵があったので、それを取ってレユニオンもとい田無駅へ。鍵穴に鍵を差し込む手が震える。しっかりと嵌まる。捻る。解錠する。戦いは終わったのだ。万歳! 自転車に股がり帰途へ就く。速え! チャリ速え! 今まで生きて来た中で一番速かったと思う。そして私は心のどこかでこのチャリパンクしろと思っていた。ここで、このタイミングでオチとしてはこれ以上ないだろう。が、普通に10分少々で家に着いた。普通に着いてしまったのだった。

……というようなことがあったため、私は無意味に疲れていた。前日の疲れをしっかりと引きずったまま22時過ぎ、割とすんなりと眠りについたのだった。

2日目以降はまた次回か、あるいはもうちょっと先に。
ちなみに今週ももちろん入院です。ごきげんよう。

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