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ティラノサウルスによろしく

前厄ですらないというのに

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前厄ですらないというのに

誕生日を迎えて以来、災いごとがつづいている。




一月五日に誕生日を迎えた俺は、七日にうんこを漏らし、さらにその日の夜から右足親指付け根あたりに違和感を感じ、はてな、久しぶりに学校に行って、ずいぶん歩いた所為だろうかなあ、なんてその日は特に気にすることもなく床についたのだが、翌日目を覚ましてもまだ痛む。まだ痛むどころか悪化している。恐る恐る確認してみると、左足のそれに比べると尋常ではなく腫れており、歩くたびに痛むので、親指が地面に触れないようにかばいながらよたよた。とはいえこの程度で学校を休むわけにもいかず、靴を履き、靴を履き、靴を履くとこれがもうたまらない。たまらないのだけど学校は休むわけにはいかないという王手飛車取り状態で、朝っぱらから満身創痍。はあ、これも七草粥を食わなかった所為なのか。でも俺生まれてから一度も七草粥なんて食ったことないしなあ。どうしてこんな目に遭わねばならないのだろうかなあ。大体、原因が分からないのだ。いくら久しぶりに歩いたからといって、これほどまでに痛むという道理はない。またこの痛みというやつが、どうも疲労から来るそれとは違う痛みなので、余計に怖い。怖いものの、学校に着いてしまいさえすれば、脚を酷使しなくても済むわけで、なんとか授業を終えて帰途。かなり怪しい気配だった空は予想通りの雨を降らしており、こんな日に限って折り畳み傘を持ってきておらず、フードを目深に被り、片足を引きずるようにして歩いていると、木に激突する。何なんだ。一体なんという日なのだ。俺が、一時的にではあるがハッキリと神様を意識して詣でた神社で何を願ったと思う。健康だよ。今年一年健康でありますようにと、祈ったのだよ俺は。二礼二拍一礼をかまし、確かにあのとき明確に神様を意識して祈ったのだ。それがどうだ。神は死んだのか。それでは俺は何に祈りを捧げればいいのだ。愛か。愛に捧げればいいのか。えい畜生寒い。雨粒が睫毛に絡まる。傘がない。井上陽水。あの子に会いに行かなくちゃ。あの子はどっちだ。明日はどっちだ。立つんだジョー。やや内角を狙い抉り込むように帰宅。靴を脱ぎ靴下を脱ぎ確認してみると、今朝よりもさらに肥大化した親指の付け根がなんとも痛ましい。赤い。真っ赤だなあ。真っ赤なのだ。そして、曲がらない。否、曲げられない。この症状、骨折じゃね? 骨折なんじゃね? でも外的なダメージは受けていないはずだ。まったく心当たりがない。はて、気付かぬうちに、ただ歩いているだけで骨折するということなどあるのだろうかと思い、ネットで調べてみると、確かに疲労骨折というワードは出てくるものの、これははげしいスポーツなどを行った結果として付いてくるものらしく、ただ歩いているだけで骨折という事例はネットという荒波をいくらサーフィンしても見当たらない。不安になる。同時に可笑しい。ただ歩いているだけで仮に骨折していたとすれば、相当な笑い話になるではないか。これはいいぞ。そしてこんなときのためのツイッター、気付かないうちに骨折していることってあるんだろうか、歩くたび親指に激痛が走り靴も履けないレベル、というようなことをツイートしたところ、フォロワーの方が、それ痛風じゃないの? と仰る。へ、痛風。痛風って言ったら中年がかかる病気ではないのか。でもまあ一応ね、状況提供してくれたわけだしね、とネットで調べてみたところ、症状が完全に一致する。うそーん。いやうそだろー痛風はないだろー。だいたい俺はそんな酒飲みでもねえしよ。すぐ酔っぱらうしよ。飲むとしてもビールとかプリン体満点なものよりウイスキーやらワインやらを飲むことの方が多いしよ。痛風はねえだろー。と虚勢を張ってみるものの、ここまで完璧な症状の一致を見せつけられると、さすがに少々不安になる。いや、正直に言うとそんなに不安でもなかった。寧ろ、面白いなと思った。だって、まだ大学生、二十をちょっと過ぎたような若者が痛風って、そりゃもう骨折よりも面白さでいったら上でしょ。そんなわけで、さして悲観視していなかったのが正直なところでして、それでもまあ一応、明日は病院に行こうと決め、鎮痛剤を飲んで寝たわけです。
そして今日九日。九時から診察開始の複合医院に九時半頃に行くとすでにすごい人だかりで、うわーこいつらみんな何かしらの病気持ちなのかよと考えたら気が滅入る。どんよりした気持ちで受付を済まし、ようやく検診してもらえたのが午後の一時半。混み過ぎだよまったく。
靴下を脱ぎ、あの、一昨日の晩から痛みはじめて、ええと、今は鎮痛剤飲んでいるのでそんなに痛まないのですけど、とこちらがこちらの状態を言い終える前に、医者のやろうはこう言ったんだァ、つ、う、ふ、う、だってね! ヒャッハー! そして次の瞬間に俺はもう痛風手帳なるデスノートと、プリン体含有量の多寡がリスト化されているありがた迷惑なプリントを受け取ってたね。そして気がついたらベッドに寝かされ、血液を吸い取られ、ハイじゃあ明日検診の結果が出ますのでまた来てくださいとりあえず今日は鎮痛剤と湿布を出しておきますので、そうして俺は診察料4280円と薬代940円を支払い、家に帰り、一人笑ったよ。笑いとして、ここまで奇麗に完結することはなかなか珍しいよ。
さあさあ、俺はこの痛風とか言う鼻持ちならない病と一生付き合ってかなきゃいけなくなってしまったのだ。今はいい。今は面白い。しかし、やがてこの面白みが消えたときが地獄の始まりだろうね。酒は控えろ、肉は食うな、魚もだめ、エビカニなんてもってのほか、ラーメンのつゆは飲んではいけないし、おじやすき焼き鍋も駄目。先を考えると、地獄ですね。煙草止めて長生きするくらいなら吸い続けて死んでやる、酒は百薬の長なんだからいくら飲んだって問題なし、とこの程度のことなら俺にだって言えるけどね、しかし痛風は怖いよ。あの痛みは耐えられないよ。ある意味、死よりも具体的にイメージが出来る分怖いんだよ。さらに痛風というやつはどうやらサイヤ人みたいな性質を持っているらしく、一度痛みが治まったと思い油断していると、次にやって来る痛みは前回よりもさらに増すとのことなのだよ。倍返しだ! ってことだよあはははああは。さらに腫れは痛みは親指の付け根だけでなく、膝、肘、耳、身体中至る所にやってくるらしい。神かよ。俺の身体に偏在する神かよ。やはり神は死んでなかったのだ。
一生ものの病。これは考えれば考えるほど堪えるので、なるべく考えないようにしているのですが、あれ、この感じ、もしかしたら似てるんじゃない、生理に。いや、こんなことを言っては失礼だろうし、まったく性質は違うものだけど、「ほぼ一生を通じて背負って行かなくてはならない業」という意味では、結構似てるんじゃないだろうか。俺はね、今は笑ってるけどなんだかんだ結構ショックなわけよ。戦争以前以後、最近だったら原発事故以前以後、世の中には様々な以前以後があるけどね、これほど堪えそうな以前以後はないよ、今のところ。やっぱり、我が身に関してのことだもの。そしてだよ、生理なんて不可抗力的な、それも一生とは言わないまでも閉経までのクソ長い期間つきまとう運命をさ、たった11歳か12歳か、遅い子だって14、5くらいでね、背負い込まなきゃいけないって相当しんどいだろうなって思ったわけよ。俺だって、一生かよーって堪えてるわけだもんな、これ小学生くらいの女の子には深すぎる業だろうよ。いやまったく、強いね。強い。女の子はもうそれだけで強いです。
俺なんかはやっぱり器が小さくてさ、さっきまで以前後輩に勧められていたフォーチュンアテリアルというアニメを見てたんだけどね、結構過酷な運命を背負い込んだ人間が出て来るわけよ、そのアニメの中に。俺みたいな人間には到底理解できないような過酷な運命を背負い込んだヤツがさ。でもふと思うんだよね、でもこいつ痛風じゃねえなって。まあそう考えることによって笑っている部分はあるのだけどね。
しかしどうですか。たとえばライトノベルとかだとさ、オタク、童貞、ぼっち、などなど、ラノベ読者層が比較的コミットしやすい性質をもった人物が主人公に据えられているものって多いじゃないですか。で、例えば普段はダメダメなオタク系の主人公がさ、ときどきすごくいいこと言ったりしたら気持ちいいじゃないですか。でももう俺はそんなんじゃ満たされないよ。痛風の主人公出してくれないと。事実俺は大学生で、昨今大学生って言ったらラノベ読者層にカウントしても差し支えないでしょう。じゃあ作りましょうよ、現実に痛風持ちの大学生がいるんですから。よお、頼むよ、俺は禁書の当麻がいくら「不幸だ」と嘆いたって、でもこいつ痛風じゃねえよなって考えちまうんだよ、なあ頼むよ、俺は当麻が痛風持ちだったらきっと全巻読むからよお、なんとかお願いしますよ。

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