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ティラノサウルスによろしく

笑ってもっとベイビー

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笑ってもっとベイビー

お祈り、はじめました。







最近、なんかイライラしているなあと思ってたら、理由あってのことだった。なんてことはない、自分から望んだのだ。話しの次第は、こういうことである。私は去年、酔っ払ってメガネを二回失くした。なんだいチクショー。私は怒らねばならないと思った。立ち向かわねばなるまい。虐げられることをよしとしてはいけない。抗わねばならないのだ。私はかのタクシードライバーさながらに髪の毛のモヒカンっぽくすると、チンチンを挟んだ両内のふとももに『憤怒』と刺青した。ボールペンで。でもそんなんやったって、二三日もすれば腑抜けてしょんぼりどうしようもなくなって、ただひたすらにインターネットの中へと向かわせるのだ。なるじゃないですか。ふざけんじゃねえよって、なるじゃないですか。で、なったのよ。あのサイヤ人みたいに。今年に入って、初対面だとか知り合いだとか色んな人と何回も喧嘩してるし、声を荒げてるし、やり合っているんだよ。負けんじゃないよって、イライライライラしてんだよ。一昨日だって、太った石原真理子似のババアが友達に煙草の窃盗疑惑ふっかけてきて、「盗ってねえよ。じゃあ身体検査してみろや」って言うと「はいはい盗ってないのね、はいはい、じゃあもういいよ、行って」みたいに言われたから、もうかっちーんときて、そっから怒鳴りあいだよ。結局、その疑惑かけられた友達に止められて、しょうがなく引き下がるっていう、なんなのさ、私はいったい。思うに、母に似てきました。酔っ払い方は父に似て、怒り方は母に似てきました。幼い頃を振り返ってみても、母はよく噛み付いていました。それはクレーマーとかじゃくて、完全なる怒りによって母は戦っていたのです。母が許せないものは沢山ありましたが、その最たるものが、理不尽と権力を笠にきた威張りです。よって母がよく喧嘩していたのは、警察や、偉そうな中年や、ババアといった類いのものでした。そして、私だってそうだ。むやみやたらにイライラしているわけじゃないのだ。理由あってのことなのだ。でももう気持ち悪い、毎日イライラしているとすっごい疲れる。同居人のなんの悩みもなさそうなピーカンスマイル見ているだけで、もう顔面をぶん殴りたくなるよ。それってイケナイことじゃないですか。だから私は祈った。祈ることにした。神様を身近に置くことにしたんだ。どんな宗教とかじゃなくて、神様を信じるの。思うのだけれど、神を信じるか? と聞かれて、はい、と答えると、じゃあなんの宗教なの? って聞くって、オカシクないですか。神様は、神様だろうが。いるんだよ、そこらじゅうに。宗教とかじゃなくて、もういるんだ。天にも地にも光にも闇にも大自然にもディスプレイにもちんちんにもまんまんにもいるんだよどこにだって。だから私は祈る。感謝する。謙虚になる。反省する。願意を述べる。祈るという瞬間に、私は自分という存在を大きく超えた絶対者というものを意識するし、今まで行い話し聞いてきた過去を意識するし、これから望み描く未来も意識している。絶対者とは絶対だ。生も死も時間も存在も、私は彼に依存している。謙虚になる。謙遜さを手に入れる。それが感謝する心を生む。心が休まってくる。祈るという力は、これほどまでに強大なものなのだ。しかし、イライラの火種を完全に絶やすことはできない。これは私の生きる力だ。抗う力なのだ。私は祈ることを通して絶対者を意識し、そこから死や絶望といった安楽を見出すのなら、怒ることによって私は私の存在を意識し、そこから反骨や拒絶といった活力を見出す。ならば祈ろう、怒ろう。両者があって始めて、私の生活が始まっていくのだ。嵐の如く、揺り篭の如く、私は烈しく、静かだ。私はこうやって行き抜くつもりで、今日を生きてます。それでは、次のナンバー、サザンオールスターズで『いとしのエリー』、石原真理子似のババアために、どうぞ・・・・・・

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