交友関係と
飲んだ、飲んだよ、しこたま飲んだ。
それは昨夜のこと。
僕はいまお金がないのです。ないというのは大袈裟でした。遊ぶ金がないのです。有り難いことに、ご飯は世間様と同等程度には与らさせて頂いております。飲む打つ買うは駄目です、いけません。お金がないのです。
金の切れ目が縁の切れ目なんて言うけれども、向こうは僕がお金に困っているのを知ると本当によくしてくれます。知らないうちに会計を済ましていて、僕があっと嫌な気持ちになると、気を遣わせないように、次回はお願いねなんて言ってくれます。
僕はそれがたまらなく苦しいからお酒を飲むんだ。どうせ奢りだと思って、どうせ他人の金だと思って、浴びるように飲むんだ。
そうすると向こうは喜んでくれます。気のいい連中なのだ。楽しければお金なんかに頓着しないんだ。
僕は、彼らにはもう会いたくないなと思う。金の切れ目が縁の切れ目だと思う。あれ、こんなこと太宰治がさんざん言ってなかったか。まあいいんだ。それでも僕は彼らと酒を飲むんだ。嫌いなやつと同席だったり、一人で飲んだりしないのなら、酒は概ね愉快である。酔いはからだに程好い疲れをもたらし、頭をはっきりとさせる。お金がなんだ。天下のまわりものじゃないか。たまたま僕の手元には少なく、向こうの懐に多く入っているだけだ。それを飲酒という行為を通して公平に正すのである。平等である。世界平和である。負い目などあるはずがない。むしろ誇らしげに雄雄しくお酒を飲み干してやる。乾杯だ。おかわりだ。あるだけ全部持ってこいってんだ。
誰にでも威張れるぐらいに、お金が欲しい。