確か、ミトはそんなに活躍してなかった。
あれ、それって第二期のときだけだっけ。
1999年の放送。恐怖の大魔王が空からうんたらかんたらの年である。
その頃、僕は小学生だった。特に、それ以外はなにもしていなかった。なにもしていなかったと言うと、語弊があるな。駄菓子屋に行って、カーレースで十円弾いたり、十円入れて(あれ、三十円ぐらいだったかな)メタルスラッグやったり、児童館に行ってボールの当てっこして、友達が階段から転げ落ちて、救急車が呼ばれたりしていた。
そんな中で見た「宇宙海賊ミトの大冒険」は、確かに面白いアニメだった。
小学校の頃に見ていた、レッツ&ゴーや、デジモンや、ラッキーマン(これはもっと前だっけ、なんかニンジャタートルズとかアイアンリーガーなんかと一緒にやってたよね)なんかの名作に並んで、深く記憶に残っているということは、やっぱり面白かったということなのだろう。
駄目だな、記憶がすんごいぼんやりしている。本当は見たことなんてなかったのかもしれない。どうしよう、ストライクウィッチーズの話しでもしようか。
昨日、今さらながらにストパンの劇場版を見た。よくできてた。ちょっと泣いた。素面でちょっと泣いたんだから、酒入ってたら滂沱の如くだったろう。映画館で見たかった。そんな感じ。
なんだろう、「宇宙海賊ミトの大冒険」の面白さについて、すごく書きたい書きたいと思っていたのに、いざ書き進めてみたら、ぜんぜん乗り気になれない。書きたいを思ってから実行に移すまで、時間を空け過ぎてしまったのだ。こういうことはままある。思いあたった日だけが吉日、チャンスの女神は前髪だけ、思ったその時にやらなかったらもう駄目。乗り遅れている。
そもそも、振り返るあのアニメ、的なこと自体がNGだったのかもしれない。だってもうそれって、過去の作品を通してノスタルジーに浸る気マンマンでしょう。たまにはいいのかもしれない。そういうことに癒しを求めてしまうことに、責められる謂れはないのかもしれない。でも最近ちょっとやり過ぎな気がするね。停滞しているのだよ、日々が、どうしようもなく。新しいことを始めなさい、あなたはまだ若いのだから。でも怖いよ、ママ。それに僕も必死になって、こんな現状を打開しようと、慣れないことをしようとしているよ。たくさんの知らない人に会って、たくさんの話しをして、たくさんのものを心に蓄えようとしてるよ。でも上手くいかないんだ、新しいものなんてなかなか簡単に見つかってくれないんだ。僕の周りのみんなが持っているものに対して、既視感を拭うことができないんだ。それは傲慢というものかもしれない、でもそこまで言うのなら、本でも読んでいなさい。ただひたすら次の一行を求めていなさい。それからまた外の世界を眼差してみて、自分の愚かさを見つけようとしてみればいい。息をする前に水に潜り、夜寝る前に朝日を見るの。そしてそこで見えた、燦然と輝く星々にこうお願いするの。「次のシーズンも、上原がレッドソックスでナイスな活躍できますように」って。
遅ればせながら、おめでとうございます。そしてお疲れ様、上原選手。
来年も期待しております。