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ティラノサウルスによろしく

甘くておいしいキャンディ!るん♪るん♪

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甘くておいしいキャンディ!るん♪るん♪

テンポは速く、中身は甘かった。
はい、じゃあキルラキル、はい。


良かったアニメはと問われて、振り返って考えてみるに、私は割と構成というやつがしっかりしている作品を好んでいることが多い。
映画とかもそうだ。シーンの一つ一つをパズルのピースに例えるとすると、それがきっちりとはまり最終的に完成した画が、どれほど美しいかによって、その作品を観終えたときの感想が決まる。
故に最終的な画さえ素晴らしければ、ピース一つに描かれたものがどのようでも、あまり気にならない。どちらかと言うと、そのピースのつなぎ目の形や、つなぎ方が気になることが多い。
で、まあ、つまり私は、そういう風にしてなにが面白いかってのを、特別なこう見てやろうという意思を挟まないで、なにも考えず自然体で作品を見ているときには、そうやって認識させてもらってるわけなんです。
で、キルラキルはどうだったかと言うと、これがそもそもこれがジグソーパズルだと思って見てちゃ、見ることができないのね。つなぎ目がない。いや、あるんだけども、パズルは横につながっていくのに対して、キルラキルは縦に伸びていく、というか、縦に伸びていたものを、どんどん切断、その断片を見せられ続けるという感じ。
どういうことかと言うと、もうすでに完成されたキルラキルという棒状の、金太郎飴みたいなやつがあってね、それをぱんぱんすぱんぱんぱんすぱんぱんという具合に、すごいスピードでぶった切ってやって、それをぽぽぽぽーんという具合に、俺たちの口内に軽快なリズムで放り込んでいってくれているのが、つまりキルラキルのスタンスというわけなんだ。俺たちの口の中の飴がとけるきる前に、その一切れをぶっこんでくれたり、もう舐め尽しちゃってすっかりお口が寂しいわんなんて思ってるところに、ここが疼いて欲しいようなところを的確に狙って、飴玉を発射してくるという寸法なわけです。やっこさんは。そんで僕らはこう言うわけだ、あんま~い、おいし~い。
キルラキルを見ているときの私は、安心しきった怠惰さで、目の前に映し出される砂糖菓子を貪っていました。
貪るものがなくなった今、私の魂は寂しく、彼女たちを恋しく思っています。
甘くてキュートなあれを、もっとおくれと。
そうだね。

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