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ここで一言だけ解説を加えると、陰陽道において偶数は陰数で、奇数は陽数ってやつでして、で、これが陽数が好くて、陰数が悪いってわけじゃなくて、つまりそのバランスが大切なわけなんですが、それで陰数だったり陽数が重なる日は不吉とされていて、その陽数の最大数である九が重なる日、つまり九月九日はもっとも不吉されていたんですね。で、その不吉を忌み避けるために、上記のようなことをしていたと。
その後、陽数の連なりを吉祥と見做す風潮になっていき、お祝い事の一つとして変化していくことになります。
山(高いところ)に登って秋の自然を見るようになり、菊の品評会が行われたり、菊酒を飲み、菊の花を混ぜたケーキを食ったりするようになります。
ここで、古人の作品から、昔の人が重陽をどう過ごしていたか、観察してみましょう。
<九日與鐘繇書>
歳往月來、忽復九月九日。九爲陽數、而日月竝應。
俗嘉其名、以爲宜于長久、故以享宴高會。
是月律中無射、言群木庶草、無有射地而生。
至于芳菊、紛然獨榮、非夫含乾坤之純和、
體芬芳之淑氣、孰能如比。
故屈平悲冉冉之將老、思飧秋菊之落英、
輔體延年、莫斯之貴。謹奉一束、以助彭祖之術。
<九日と鐘繇の書>
一年は過ぎ去り月は来る、たちまちまた九月九日が来た。
九は陽数なので、まさに月と日が並ぶ。
世の習いとしてその名を善しとし長久を願って、盛大な酒宴を賜る。
月律は無射に当たり、木々は群れ草は肥え、
地を突き出て無から有が生じる事を言う。
深い菊の芳香を紛然と一人楽しむのではない。豊かな天地の調和である、
菊の良い香りと麗しい気配を受け入れ、いずれも楽しんで安らいで欲しい。
ゆえに屈原は、老いが早く進むことを悲しみ、夕餉に菊の花びらを食して、
身も心も高潔にしたのである。
体を補って長生きをして欲しいと、願わずにいられない。
謹んで菊一束を奉じる、彭祖の術の助けとして欲しい。
《注》
月律→音調を陰陽の十二律に分け、陰暦の一年十二ヶ月に配したもの。 まあ、ここらへんは、「月日は百代の過客にして……」みてえな意味。たぶん。
屈平→屈原。昔のすげえ詩人。ちなみに端午の節句にちまきを食うのは、国を憂いて河に身を投げたこの人のために、農民が供えたが始まり。上の記載は『楚辞』<離騒>第五段にある。
彭祖→堯、夏、殷と八百年程長生きしたらしい人。
上の散文は、曹操の息子である曹丕が臣下の鐘繇というじーさんに送った手紙です。
で、この手紙からわかるのが、重陽は長寿祈願の日で、つまり敬老の日みたいな感じなわけでもあるんですが、これは『九』の中国読みと『久』の読みが一緒だから、そこから来ているらしいっす。
さあ、僕ももう疲れてきたぞ。
重陽に纏わる詩や散文は、いいものが多いので、どんどん紹介してやろうと思ったのですが、もう目が痛いので、このあたりしておきます。
重陽は今でこそあまり祝われなくなったと言えども、やってきた行事の影響は、まだまだ我々の生活の中に残っているのではないでしょうか。
前にも書いたけど、たかおにって、これ起源じゃねえのかなー
おしまい